今日から父とともに生きる。

父の死後から45年、父との生活を11年間の短い間しか送ることのできなかった私は
残された父の日記を読み返しながら、
直接聞くことのなかった父の生き様や考え方を知り、
残された私の人生が少しでも豊かなものになるよう、父と共に生きようと思う。
(2006.2.14.by son)



2007年08月04日

1937年2月25日〜26日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年二月二十五日 木曜日 曇時々雨(第七巻)

午前は日誌を書く。午後は温床の踏込をなす。晩は作文をなす。

所感
作文の上達こそ人間を人間らしくする根源で、
これの向上は読書によって計ることが出来る。されど、精神を打ち込んだ読法でなければ到底作文のこつを掴む事は出来ない。


●昭和十二年二月二十六日 金曜日 晴(第七巻)

午前は部屋の表障子にニスをぬり、温床内に床土を入れる。午後は青訓にて野外演習行はる。







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2007年08月03日

1937年2月24日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年二月二十四日 水曜日 曇(第七巻)

市場へ行く。セルリー、ビーツを出す。高価に売れた。午前十時帰宅。障子をはり、ニスを買ふて来たので表口の障子にニスをぬる。障子の硝子取扱い中に甚大のガナスを一枚破損した。父より愚痴をこぼさる。

所感
今日の如き不意の過失を責めるは、ある意味からはよいかも知れぬ。しかし、もとにかへざることを小言いったからとて愚痴の骨頂であると思ふ。過失した本人こそ心痛の至である。これを慰めて許すといふ事が如何程、賢人たるかを今日の仕業によって悟る。



■愚痴の骨頂:正しくは「愚の骨頂」
■ガナス:ガラスの誤字、それとも障子にニスを塗ったものをいうのか?





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2007年08月02日

1937年2月22日〜23日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年二月二十二日 月曜日 雨曇(第七巻)

終日、イマナキ織り。

所感
兄弟(但し年齢に大差のない)の間に真の愛、即ち、親愛の情が通うふ時は独身時代である事はを否定しない。
独身時代の精神こそ尊いのである。
又、迷い易いものでもあり、誤りやすいものでもある。要するに独身兄弟生活時代が如何に我が一生を通じて幹部を占めて記憶すべき快悦なる時なるかは今更、想像するに足らん。さればこの快悦なる且、意味深い時代の長短は将来的にも少なからぬ影響を来すものではなからうかと。


●昭和十二年二月二十三日 火曜日 雨曇(第七巻)

終日、イマナキ織り。夕方セルリー、ビーツの商準備。

所感
平凡なる生活が其の人を天才にするであらうか。
そうではない。世の敗残者となり、落伍者となる。
平凡そのものは尊いが、生活といふものの全体にみなぎらしては、血となり肉となる事はできない。



■ビーツ(ビート)とは
ビーツは、砂糖大根、赤大根、カエンサイ・ガーデンビート・ビーツ・ウズマキダイコンとも言い、ほうれん草などと同じアカザ科で、地中海沿岸の原産です。
ロシア料理のボルシチに入っている赤い実のようなビーツは、この料理以外には日本人には馴染みの薄い野菜です。古代ローマ人は葉と根を食用にしていたと伝えられています。そこから地中海沿岸に広まり、現在のような赤いビーツは16世紀にドイツにおいて栽培されました。
ビーツは根がカブのように肥大し紅色で、輪切りにしますと美しい輪紋があります。日本には江戸時代の「大和本草」と言う書物にこの記載があり、この頃に渡来、また明治時代初期になって再渡来しましたが、何れも普及しませんでした。砂糖を採るシュガービート(甜菜)、葉を食べるリーフビート(フダンソウ)とは同種です。しかし現在、日本では長野県や北海道で栽培されています。夏から初秋が旬、主に缶詰めで利用します。

ビーツは、飲む輸血と言われるほど、リン、ナトリウム、マグネシウム、カルシウム、鉄、カリウム、が豊富で、同様にビタミンA、C、ナイアシン、ビオチン、そして食物繊維も豊富に含まれています。またビーツに含まれる鉄は、人工製剤の鉄より一層吸収、同化され易いものです。






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2007年08月01日

1937年2月20日〜21日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年二月二十日 土曜日 晴曇(第七巻)

午前は玉葱、甘藍の追肥。午後は麦圃の中耕追肥第二回もなす。晩は早岐の西蓮寺へ説教聴きに行く。

所感
朝に礼拝、昼は汗、夜は感謝で眠りませう。
此の世から信仰を離れて一日も安心した生活が出来ない事を感謝し,
且、実際生活との連絡を迷わず、職業にも真剣であると共に拝む(己がかがむ)といふ、即ち自分が頼るべき他を尊敬し、己をひくくして反省し、此後躍進すべき原動力となるのが、即ち拝むといふ有難さとと感ぜざるを得ない。


●昭和十二年二月二十一日 日曜日 雨曇(第七巻)

午前は兄と書斎にありて、ペン筆字の稽古をなす。自転車の修理をもなす。嶋本喜志夫君からの来信ある。晩に及んで長谷川さん方へ遊ぶ。



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2007年07月22日

1937年2月18〜19日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年二月十八日 木曜日 晴曇(第七巻)

終日麦畑の中耕。

所感
人生を送るとは何か。或る頼りとすべき光りがなくてはならない。信仰の道こそ唯一の光なので恰も盲目に伴ふ目開のやうなのだ。信仰は我等の大きな生きるべき道である。


●昭和十二年二月十九日 金曜日 晴(第七巻)

午前は麦圃の中耕。午後は青年学校に出校する。晩は早岐の西蓮寺へ説教聴きに行く。

所感
今日の説教にもある如く、順豪の教え相俟って健全なる日本精神が確立する。これ実は真理だと思ふ。陰陽の電流があってこそ完全なる清い日本精神が目的の電球となって光るであらうと。



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2007年07月21日

1937年2月15〜17日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年二月十五日 月曜日 雪(第七巻)

終日障子製作。

所感
趣味といふものが人生になかったならば寂しいものである。趣味あってこそ人間の価値が認められ向上進歩するものと、


●昭和十二年二月十六日 火曜日 曇晴(第七巻)

会席用の箱を作る。鶏舎の寝所を設置する。夕方硝子障子へペンキをぬる。晩はカンナとぎ。


●昭和十二年二月十七日 水曜日 晴(第七巻)

甘藍の追肥除草、小麦の追肥も終日に及んで完終する。晩は平戸の兄さんが今福へ役場の視察に来たといって立寄る。

所感
未婚者の男女交際は神聖でなければならぬ。どこどこまでも道徳的の交際でなければあたら自己の品位を下げるのみか将来に於いても悪影響を帰すものである。



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2007年07月18日

1937年2月13〜14日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年二月十三日 土曜日 晴曇時々雨(第七巻)

終日細工。硝子障子枠四枚製作を終る。晩は雑誌を読む。

所感
出世太閤記を読んでさすが秀吉の秀吉たるに感動せざるを得ない。秀吉の一生を通じ一挙一動が天才的なるは申すに及ばず。彼がよく時世に適応した所の手段を取って、真剣に主公に熱意を表したといふのが、彼を従一位関白太政大臣迄に至らしたのであると痛感した。


●昭和十二年二月十四日 日曜日 曇(第七巻)

午前は姉の親友、厚子様宛に出す手紙を書く。午後は障子枠製作。

所感
男性の根性としての荒っぱしいものを、女性の性情によって美化し浄化するのだ。我等男性と女性は別物にしては一刻たりとも過すことは出来ぬ。


●昭和十二年二月十二日 金曜日 雨(第七巻)

午前は細工をなし、午後は青訓だった。自治会が行かれる。

所感
青年学校に於いて自治的に何事を成すといふ事はどうしても自治会の如き会を催さねば、これが現実を見ない。首脳役員たる者は師表に立たねばならんう。僕も一人で書記と摘命され、止むを得ぬ。寸時の功をも立てたいと余は思ふ。



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2007年07月17日

1937年2月10〜12日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年二月十日 水曜日 晴曇(第七巻)

市場へと法草をもって行く。斤の二銭だった。帰宅後、麦畑の中耕。


●昭和十二年二月十一日 木曜日 曇時々雨(第七巻)

兄姉等は針尾の正月にてはつりに行かる。終日温床障子枠作り。


●昭和十二年二月十二日 金曜日 雨(第七巻)

午前は細工をなし、午後は青訓だった。自治会が行かれる。

所感
青年学校に於いて自治的に何事を成すといふ事はどうしても自治会の如き会を催さねば、これが現実を見ない。首脳役員たる者は師表に立たねばならんう。僕も一人で書記と摘命され、止むを得ぬ。寸時の功をも立てたいと余は思ふ。



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2007年07月16日

1937年2月8〜9日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年二月八日 月曜日 晴曇(第七巻)

佐世保卸市場へとビーツ、セルリーを持って行く。飛行機の分列式が佐世保上空に於いて挙行されるとのことだったので行ったのであるが午前中は行れなかったので帰途に付く。日宇へ立寄り午後一時帰宅。今福へ新設の製材所へ製材に行く。晩は餅を少しつく。


●昭和十二年二月九日 火曜日 晴(第七巻)

四日踏込みの温床が順調なる発熱を見たので床土を入れ、胡瓜、南瓜、茄子、蕃茄、江戸菊の播種をなす。夕方法蓮草の市場行準備をする。



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2007年07月15日

1937年2月7 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年二月七日 日曜日 晴曇(第七巻)

紀伊子姉は富田方の一家族と同行、佐世保工廠見物。春江姉と二人終日山へ薪を取りに行く。

所感
学問といふものは愛を獲へる武器なり。しからば愛其のものより生るる幸福も学問を離れざるかは明らかである。学問こそ人間のみなし得るものであって他の動物の望まれざる所であり、これが限りなき人界発達の要素といふべきだ。ここに我等は目醒めて一躍するに至りては人生の幸福に花咲くであらう。



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2007年07月14日

1937年2月4日〜6日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年二月四日 木曜日 晴(第七巻)

兄の出勤より少し遅れて出発する。セルリービーツかなり高値にて。帰宅十一時半。自転車のクランクギヤーの心棒取替(往途折れたので)をした。午後は温床踏込。


●昭和十二年二月五日 金曜日 晴(第七巻)

午前は温床の踏込みを済まし、午後は青訓、学科授業にてかがり編みを作業さる。籾殻を帰途引いてくる。


●昭和十二年二月六日 土曜日 晴曇(第七巻)

午前は温床硝子障子を取付けた。終日麦畑の追肥中耕。晩は中村水車へ遊びに行ってラジオをきいた。



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2007年07月13日

1937年2月3日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年二月三日 水曜日 晴曇(第七巻)

温床の仕事を終日なす。夕方、ビーツセルリーの商準備

所感
時局非常の今日、既に内閣の改任に当りて軍部際よりの入閣を要求するのも帝国が此の時に際して国防上、欠くべからざる所の軍策を講ぜん為であろう。
内閣成立結果、左の如し

任内閣総理大臣兼外務大臣・文部大臣 
 陸軍大将正三位勲一等功四級  林   銑十郎
任内務大臣 従四位勲三等     川原田 稼吉
任大蔵大臣兼拓務大臣
 従六位勲六等             結城 豊太郎
任陸軍大臣
 陸軍中将正四位勲一等功四級  中村 孝太郎
任海軍大臣
 海軍中将従三位勲一等功四級  米内   光政
任司法大臣 検事正四位勲三等  ●野   季彦
任農林兼逓信大臣
 従三位勲一等             山崎 達之輔
任商工兼鉄道大臣
 海軍造兵中将正四位勲二等    伍堂   卓雄
                           以 上



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2007年07月12日

1937年2月2日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年二月二日 火曜日 曇雨(第七巻)

読書をなす。午後は二日やーととかで遊ぶ。高川君を連れて来る嫁さんを見たいとの注文だったから。

所感
農が国家社会の淵源であると同時に心身を健全ならしめるは申すに及ばない。しかし智の進歩は農には妨害なるかもしれない。



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2007年07月10日

1937年2月1日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年二月一日 月曜日 雨(第七巻)

書籍の整理をなし読書する。晩も故兄の筆跡を読んでは感嘆の至りだった。

所感
逝かれし兄は御生前に於て精神的努力者として大いに活躍されて居られる。殆んど青壮年期は学問生活だ。しかし実に彼は学問に生きて過された。学問といふものをまるで人間を養ふ要素かのやうに、そして氏は死の直前まで学問を尊ぶ。彼の心中を思う時、愚かなる弟の僕も何だか励まされるやうな気がする。兄上の筆跡こそ彼の全精神であり、全魂であるのだ。弟たる僕等を指導せんとする遺書なのだ。吾等はこれを繙かねばならない。そして兄の美徳を万分の一なりとも輝かさなくてはならぬ。

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2007年07月09日

1937年1月31日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年一月三十一日 日曜日 晴曇(第七巻)

好天気に恵まれ且つ兄をも工廠の休みにて大人数にて仕事をなす。午前は改植桑園へ堆肥をやり、午後は麦圃の追肥中耕、玉葱の植付も少しやる。

所感
健康体の幸福といふものは、現在健康に遭遇しているものの感謝すべきであるにも拘らず、当人たるのものは其の幸福も尚又色々な欲望を感じないで自己の現在の幸福に感謝しようとはしない。だから健康其のものが如何に向上発達の力を占有していてもこれを運用する所の人間に自覚がないから、この尊き健康其のものの価値がなくなるばかりか之を運用する健康の持主も零である。かかる意味に於て健康の有意義なる運用が処世の一大改革にどれだけの力を持つかを考慮すべきである。

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