今日から父とともに生きる。

父の死後から45年、父との生活を11年間の短い間しか送ることのできなかった私は
残された父の日記を読み返しながら、
直接聞くことのなかった父の生き様や考え方を知り、
残された私の人生が少しでも豊かなものになるよう、父と共に生きようと思う。
(2006.2.14.by son)



2007年10月26日

1937年4月27日〜30日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年四月二十七日 火曜日 晴(第七巻)

甘藍販売、売行良好にて斤の四銭五銭だった。午前中にかへり、午後は兄と甘藍の販売準備をなす。西瓜、胡瓜、野菜瓜の播種もなす。晩は富田君の送別会にて十一時迄。


●昭和十二年四月二十八日 水曜日 晴(第七巻)

甘藍販売。午後一時半帰宅。午後は育雛の手入をなし、胡瓜の定植畑へ基肥をなす。甘藍の準備をなす。


●昭和十二年四月二十九日 木曜日 晴(第七巻)

甘藍販売。午後二時頃かへり、午後は甘藍の出荷準備をなす。菜豆畑、トマト畑の中耕をなし、茄子の定植。兄は休日とて加勢さる。胡瓜の播種。


●昭和十二年四月三十日 金曜日 雨(第七巻)

朝方より小雨、午後になって大分降る。甘藍、茄子、トマト苗販売にて午後四時帰宅。其後兄と育雛保温器の製作。兄は休日にて胡瓜、茄子の定植をして下さる。

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2007年10月07日

1937年4月24日〜26日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年四月二十四日 土曜日 晴曇(第七巻)

少しは早いと思ったが飼付をなす。(午後九時半)
苗代田の緑肥耕込をなし、蓮田の荒耕し。午後は蜜蜂が別れたので箱の準備をなし、二度になす。夕方西瓜の基肥に配合肥料を与ふ。育雛は好成績にて一羽の死雛を出す。


●昭和十二年四月二十五日 日曜日 雨曇(第七巻)

終日、初生雛の監督にて一日を過す。一羽の死雛を出す。少し給水が多いやうだった。金城商会へタイヤーの注文。平戸の紀伊子姉へハガキ出す。


●昭和十二年四月二十六日 月曜日 晴(第七巻)

午前は学科授業にて登校。帰宅後、午後は平戸滞在の姉よりの要求品小包を準備したり手紙を認めたりして、夕方明日の甘藍販売準備をなす。



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2007年10月05日

1937年4月21日〜20日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年四月二十一日 水曜日 曇(第七巻)

午前八時半起床。午前中は牛蒡の種蒔き。午後は白菜の播種、金時豆、南瓜へ追肥。


●昭和十二年四月二十二日 木曜日 雨風稍強(第七巻)

終日育雛保温器の設備にて温度の試運転もなしたが、七十五度以上はどうしても昇高せぬ。晩は庭木方の一週忌に行く。


●昭和十二年四月二十三日 金曜日 晴(第七巻)

午前は苗代田をこなして、午後は初生雛発送の電報がとどいたので育雛保温箱の準備。五時五分の汽車にて到着したので早速取りに行って休眠させる。百三羽居って一羽も死雛を見ない。
晩は今日から早速育雛室に寝所を置く。



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2007年09月30日

1937年4月18日〜20日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年四月十八日 日曜日 曇(第七巻)

今日は我が口ノ尾青年の花見宴会で会所を山ノ田の長谷川清人宅、女子青年部より四名加勢を願ふた。午前は兄と小屋の整頓をなし、午後より花見宴会に臨む。面白く愉快な一日を終へた。晩は一同小学校の映写会に行く。大へんくたびれ十一時帰宅。


●昭和十二年四月十九日 月曜日 晴(第七巻)

朝方は少しトマトの移植をなし(下関日本飼料より飼料発送通知来る。貯金百円引出す。父が柚木事件に入用のため)登校。学校にては学科だった。午後一時過帰宅。午後は牛蒡畑を耕し、トマトの移植を済ます。


●昭和十二年四月二十日 火曜日 晴曇(第七巻)

下水暗溝のさらへ仕事を道路工夫と二人で働き、午前中に済んだが午後も道路修繕の仕事をなす。夕方、牛蒡の播種。



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2007年08月30日

1937年4月15日〜17日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年四月十五日 木曜日 曇(第七巻)

終日、春田の荒起し。昼間に給水器を作る。


●昭和十二年四月十六日 金曜日 晴曇(第七巻)

午前は苗床田の荒起しをなし、午後は全部でトマトの定植。一千百余本植付けなす。晩は雑誌家の光を配付して廻る。


●昭和十二年四月十七日 土曜日 晴(第七巻)

伯母つね殿の死去。老体の病気は油断してはならない。尊き伯母様をもう二度と見ることが出来ないかと暗涙にむせび泣かざるを得ない。家内の人たるや想像するだに気かし、本日葬儀行はれ三日参りまで済む。






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2007年08月26日

1937年4月13日〜14日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年四月十三日 火曜日 曇(第七巻)

朝方、石窒を撒布し針尾の瀬戸見物に行く松永雨家に御厄介になり暮方帰宅。


●昭和十二年四月十四日 水曜日 雨曇(第七巻)

午前は玉葱の除草をなし午後は雨にていなまき織り。





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2007年08月25日

1937年4月10日〜12日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年四月十日 土曜日 晴(第七巻)

川棚の蚕繭組合創立五周年記念祝賀会に参列する。東栄社の充実と組合員の熱心とより成立つべき蚕繭組合の進歩を重大なるものなるを感ぜざるを得ない。講演後、余興として浪花節講談があり、午後五時頃終る。東栄社の製糸工場内を観察し帰途に付く。六時半帰宅。トマトの移植をなす。晩は青年花見決議集会。期日は十八日で会所を福本方新宅。会費一円見当。


●昭和十二年四月十一日 日曜日 晴(第七巻)

朝方トマトの移植をなし畑を耕す。午後は土を荷負ひ、夕方早生南瓜の定植(三本づつ三十二くら)


●昭和十二年四月十二日 月曜日 晴(第七巻)

朝方植付し南瓜に覆ひをなし登校、学科授業にて新任の西村先生との第一日は非常に朗らかな、そして愉快なる印象を与えた。
午後は石灰窒素を組合よりひいて来る。畑の塊打ち。





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2007年08月24日

1937年4月7日〜9日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年四月七日 水曜日 晴(第七巻)

午前中、セルリー、佐土原長茄、パセリーの播種。午後はサダヤ菜豆の播種をなし、夕方に及んでセルリー、ビーツの商仕度をなす。今度が畑終り。晩は焼付。


●昭和十二年四月八日 木曜日 曇小雨(第七巻)

市場へ行く。相当に売れた。午前中にかへる。午後は自転車の修理もなす。晩はズボンのふせをなす。


●昭和十二年四月九日 金曜日 晴(第七巻)

午前は仮植温床の踏込みをなし、午後は床土を入れ茄子の第二回移植をする。
村田宇太郎サマ借金の為破産の悲境に到り、昨日早岐の方へ引越さる。今日は家財道具の競売行はる。





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2007年08月23日

1937年4月4日〜6日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年四月四日 日曜日 晴(第七巻)

終日、桑園の整頓。夕方育雛室に土を入れる。晩は鍼灸治療に行く。

●昭和十二年四月五日 月曜日 晴(第七巻)

今日、桑木場の森様の転宅加勢だった。本村より佐世保の方へ御転任なされる。佐世保へついてからまもなく帰る。晩に及ぶ。


●昭和十二年四月六日 火曜日 晴(第七巻)

朝方、育雛箱其他を洗ひ、午後育雛舎器具の消毒をなす。
先生方の告別式、新任式に参列し御見送りした。午後は桑畑の耕耘をなし、夕方深葱の移植。晩は現像をなす。





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2007年08月20日

1937年4月1日〜3日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年四月一日 木曜日 晴(第七巻)

市場へビーツ、セルリーの出荷をなす。又安い。午前中にかへり午後は辻麦畑の中耕、土寄せをなす。夕方市場出荷準備をなし、晩は節句の餅付。


●昭和十二年四月二日 金曜日 晴(第七巻)

市場出荷をなす。売価不良。午前中にかへり午後は玉葱の中耕をなす。追肥もやる。夕方花甘藍の移植をなす。


●昭和十二年四月三日 土曜日 晴(第七巻)

午前は育雛室の整理整頓をなし、午後は節句遊びだった。






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2007年08月19日

1937年3月29日〜31日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年三月二十九日 月曜日 晴(第七巻)

午前は温床畑を耕す。午後はかまぶたの麦畑の土寄せ。


●昭和十二年三月三十日 火曜日 曇(第七巻)

午前はかまぶたの麦畑の土寄せ。人参跡畑を耕す。午後は觸にて石灰の荷受をして配給してもらふ。籾摺機古物払下げを二十銭にて買ふ。夕方籾摺に行く。


●昭和十二年三月三十一日 水曜日 晴一時曇(第七巻)

終日、桑畑の追肥、土寄せをなす。夕方商の準備をなす。






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2007年08月18日

1937年3月26日〜28日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年三月二十六日 金曜日 晴(第七巻)

終日、金時菜豆の播種(今年は二升)夕方温床内へ追肥をなす。晩は義姉さまが針尾の方の祝儀よりかへられたので桑木場の森様方へ行く。


●昭和十二年三月二十七日 土曜日 晴(第七巻)

終日、空畑を耕起する。夕方、商の仕度をなす。


●昭和十二年三月二十八日 日曜日 晴(第七巻)

市場へ行く。遠方もなく安価だった。午前中にかへり昨日よりの引続きの温湯還流器の修繕をなし、午後は早生甘藍の間作に金時の播種。日曜にて兄の親友職工尾崎さんが遊びにこられて応接さる。お午過参られ五時半頃かへらる。






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2007年08月17日

1937年3月23日〜25日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年三月二十三日 火曜日 曇後雨(第七巻)

市場へ行く。昨日が艦隊入港だったが高価だった。トタン、
材木を少し買ふて来る。午後は育雛宅の設備をなす。
晩は薬液をつくりかへて、現像、視察撮影はよく出来た。


●昭和十二年三月二十四日 水曜日 曇後晴(第七巻)

今日は觸の作場道修繕に出た。終日にわたる。
晩は焼付をなし、細工をなす。


●昭和十二年三月二十五日 木曜日 晴(第七巻)

非常に寒い。西ノ岳には白雪を見、少しばらつく。
終日育雛舎の修繕にて晩に及ぶ。






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2007年08月16日

1937年3月20日〜22日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年三月二十日 土曜日 曇時々小雨(第七巻)

我が青年学校も小学校兼にて卒業式が挙行されたので出席する。午後はズボンにアイロンをかけ、免寄りに行く。夕方、トマトの移植、胡瓜の第一回移植をなし、晩は餅付き。明日の篤し農家視察の準備をなす。


●昭和十二年三月二十一日 日曜日 晴(第七巻)

今日の福岡、唐津方面農事視察も天気に恵まれ午前六時八分三河内発にて向ふ。岸金四郎宅を訪問して帰途、唐沢のの養鶏、促成栽培も一覧し唐津見物をなして、帰途に付いた時は晩に及び帰宅した時はもう十時だった。

所感
実地視察こそ我等農村青年たるものの
愛すべき条件である。

百聞も一見にしかず、志ある者のあらゆる農事の進歩発展も蟄居的生活よりは生れない。そこに現代的の実地視察研究と合理的学理の応用に待たねばならない。


●昭和十二年三月二十二日 月曜日 晴(第七巻)

昨夜より自転車紛失事件にて午前中は捜索に努めた所、お午頃出て来た。無断乗逃して山近呉服店へ置いてある。やっと安心した。
午後は高川、長谷川安さんが遊びに来られたので、語りにてかれこれ四時頃迄かかり、温床内の除草。商の仕度。






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2007年08月15日

1937年3月17日〜19日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年三月十七日 水曜日 晴(第七巻)

午前は玉葱畑の中耕をなす。午後は父と畑耕し、母姉は桑園の中耕除草。
夕方トマトの第二回移植をなす。冬蒔甘藍の移植もなす。
義姉映写慰安会に行かる。晩は障子に油をぬる。


●昭和十二年三月十八日 木曜日 晴(第七巻)

肥料を組合より買入れ、終日仮植床の踏込をなす。
夕方、冬蒔甘藍の移植。


●昭和十二年三月十九日 金曜日 曇後雨(第七巻)

道路愛護デーにて男女青年団は修繕事業に出た。冬蒔甘藍の移植。
夕方トマトの第二回、第一回の移植。






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2007年08月14日

1937年3月14日〜16日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年三月十四日 日曜日 晴曇(第七巻)

終日麦圃のじゃこあげ。いよいよ今日を完終する。
晩は焼付けをなす。


●昭和十二年三月十五日 月曜日 曇後雨(第七巻)

仮植温床の踏込みをなす。玉葱畑の除草中耕追肥、夕方より降雨となる。


●昭和十二年三月六日 火曜日 晴(第七巻)

兄の通勤工場、航空会の慰安会にて朝方より争動して佐世保千日劇場へと行く。姉母も行かれ劇場にては高坂さんとも全部一所になる。
満足せる映写のみだった。午後五時半帰宅。晩は姉の媒介用件にて針明より見へらる。

所感
結婚問題にはよほど真剣に考慮しなくてはならぬ
親兄弟の判断も無視すべきものではないが本人たるもの、見識も亦甚大でなければ夫に盡すべきで貞操も零となる。一旦嫁いだなら再び生家に帰るといふやうな軽々しい手段ではいけない。それだけの見識と理知とも働かせて結婚問題に処すべきだ。






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2007年08月13日

1937年3月11日〜13日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年三月十一日 木曜日 雨曇(第七巻)

雨にて書斎にとぢこもり、納屋室にて撮影をなす。
夕方セルリーの商仕度。晩は現像焼付。


●昭和十二年三月十二日 金曜日 晴曇(第七巻)

市場へ行く。帰途、日宇駅前の温床視察。牛石の鴨川温室視察にて午後四時頃帰宅。夕方セルリー、ビーツの商準備。


●昭和十二年三月十三日 土曜日 晴(第七巻)

市場へ行く。特別に安い。艦隊出港のため、帰途日宇の吉田宅に立寄る。義齢さんの結婚祝(結婚式十一日)んい祝杯を戴いて来る。午後四時頃帰宅。久材君を撮影し麦圃のじゃこあげを少しなし、籾摺、現像をなす。





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2007年08月11日

1937年3月8日〜10日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年三月八日 月曜日 晴曇(第七巻)

市場へ鶏卵、セルリーを持って行き、午前中にかへる。久野継四郎さん拝見に立寄る。
午後は商仕度をなして後義姉の姉さまがお見えになったので写真撮影をなし初午詣参に行く。夕方かへり信永茂好君へ温床を案内し南瓜の第二回移植をなす。晩は現像を行ひ、狂言を見にいって日記を書く。


●昭和十二年三月九日 火曜日 晴曇(第七巻)

市場へビーツ、セルリーを持って行く。午前中にかへり、午後は麦圃のじゃこあげ。夕方籾摺に行き晩に及んだ。現像をなす。


●昭和十二年三月十日 水曜日 曇後晴(第七巻)

陸軍記念日にて、
今日は吾等青年学校男徒は佐世保海軍航空隊、軍艦見学をなした。帰途は雨にて困る。自転車にだったので日宇より傘をかり桑木場の森様方へ立寄る。信用組合の家の光会にも途中立寄列席する。

所感
今日の見学は求むるものが大であった。飛行機の勇壮なる姿こそ、空を護る形そのものである。
非常時、日本の魂は実にこの空軍に
確固たるものでなければならぬ。

猛烈なる日夜の高等飛行の訓練をも目ざす所は防国日本の第一線となるべき為である。





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2007年08月10日

1937年3月5日〜7日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年三月五日 金曜日 晴(第七巻)

市場行きが中止され兄が自転車がパンクしたので、午前は堆肥を麦圃へ出し、午後は青訓(学科)

所感
現代、若人が総てを華かな都会生活に集中するのは
如何なる理由であらうか。即ち美衣美食に甘んぜん為なのであらう。更に農民までが与えられたる清い農業をも取棄てて集中するが如きは真に農業経営を自覚する事のできない者といはねばならない。自然愛と天然力とは農民に限って与えられたるものなれば、これが運用を記帳的に遂行し、多角的農法にて営利的にやったならば農民の都会集中といふ事んどは考えられるはずがない。これらは皆、真剣に農業に取付いていなるものの手段であり思想である。何事にも失敗に又失敗の人だと思ふ。


●昭和十二年三月六日 土曜日 雨(第七巻)

市場出荷(ビーツ、セルリー)。帰途雨にあひ日宇より雨具を借りて来る。午後は鰯干を作り、山ノ田の長谷川清人宅へ遊びに行く。


●昭和十二年三月七日 日曜日 晴(第七巻)

兄も休業にて久方ぶりに愛妻との一日を過された。僕も兄と二人で部屋付近、鶏舎付近の整理整頓をなし、鶏舎の始末をする。ニスをもぬる。姉は千綿の振興会へ、母、姉、父かへらる。明治さんもいっしょに来らる。







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2007年08月09日

1937年3月3日〜4日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年三月三日 水曜日 雨曇(第七巻)

終日3人でいまなき織り。

所感
自己を主張する分量の多い我等青年期には、
何事をなすにも第一歩を堅くしっかりと踏付けねばならない。


●昭和十二年三月四日 木曜日 曇後晴(第七巻)

午前はいなまきを織り、午後は温床の硝子障子を取付けて覆ふ。堆肥を麦圃に出し、商の仕度をなす。





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2007年08月08日

1937年3月2日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年三月二日 火曜日 晴後曇(第七巻)

セロリー、ビーツの出荷。昨日より安かった。午前中にかへり午後はじゃこあげをなす。晩は写真教程を読む。

所感
写真術は物理的及化学的の操作である。
吾人はこれを運用して自然の現象を抽書として再現せしむるのである。あらゆる技術と経験とを要する。研究すべき位置は広い。かくの如くに趣味深き写真術を学び経験の手腕を構ずれば、はては努力あるものの天才として換言すれば人事を尽くして天命さずかりて写真界の達人として上位に至らざるを得ない。






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2007年08月07日

1937年3月1日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年三月一日 月曜日 曇後小雨(第七巻)

佐青果卸市場へセロリー、ビーツの出荷、高値にて販売さる。午前中にかへり午後は麦圃へ堆肥を出す。夕方又出荷準備。

所感
人は自信がなければならない。
みだりに他に依頼する事は人間としての恥辱であるのみならず。自ら自己の運命をきり開かんとす者のとるべき道ではない。人は自己の力に依頼するとき、はじめて何事をなし得るのである。






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2007年08月06日

1937年2月28日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年二月二十八日 日曜日 晴曇(第七巻)

終日温床の仕事のをなす。第一回移植を茄子、トマトをなす。

所感
熟慮断行は青年の欠陥を除く大きな武器である。
軽挙妄動に陥り易い何人もが遵守すべき玉條の一つである。事の善悪実行の手段、結果の影響を考慮し、よく順序をたてて更に順序を立てなをし、最後に改定するのが熟慮なす。






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2007年08月05日

1937年2月27日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年二月二十七日 土曜日 雨曇(第七巻)

午前は朝方一車、宗方の堆肥を取り雨になったので止めた。鶏舎の雨漏り修繕。午後は桑入籠の修繕をなす。

所感
虚栄こそ我々青年の限りなく進むべき前途に取除くべきものである。虚栄にて失敗したる例は多い。我々青年は一切の虚栄を棄て去り
何ものにまさって、力強い誠実を基として
自己の生活をおし進むべきだ。






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2007年08月04日

1937年2月25日〜26日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年二月二十五日 木曜日 曇時々雨(第七巻)

午前は日誌を書く。午後は温床の踏込をなす。晩は作文をなす。

所感
作文の上達こそ人間を人間らしくする根源で、
これの向上は読書によって計ることが出来る。されど、精神を打ち込んだ読法でなければ到底作文のこつを掴む事は出来ない。


●昭和十二年二月二十六日 金曜日 晴(第七巻)

午前は部屋の表障子にニスをぬり、温床内に床土を入れる。午後は青訓にて野外演習行はる。







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2007年08月03日

1937年2月24日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年二月二十四日 水曜日 曇(第七巻)

市場へ行く。セルリー、ビーツを出す。高価に売れた。午前十時帰宅。障子をはり、ニスを買ふて来たので表口の障子にニスをぬる。障子の硝子取扱い中に甚大のガナスを一枚破損した。父より愚痴をこぼさる。

所感
今日の如き不意の過失を責めるは、ある意味からはよいかも知れぬ。しかし、もとにかへざることを小言いったからとて愚痴の骨頂であると思ふ。過失した本人こそ心痛の至である。これを慰めて許すといふ事が如何程、賢人たるかを今日の仕業によって悟る。



■愚痴の骨頂:正しくは「愚の骨頂」
■ガナス:ガラスの誤字、それとも障子にニスを塗ったものをいうのか?





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2007年08月02日

1937年2月22日〜23日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年二月二十二日 月曜日 雨曇(第七巻)

終日、イマナキ織り。

所感
兄弟(但し年齢に大差のない)の間に真の愛、即ち、親愛の情が通うふ時は独身時代である事はを否定しない。
独身時代の精神こそ尊いのである。
又、迷い易いものでもあり、誤りやすいものでもある。要するに独身兄弟生活時代が如何に我が一生を通じて幹部を占めて記憶すべき快悦なる時なるかは今更、想像するに足らん。さればこの快悦なる且、意味深い時代の長短は将来的にも少なからぬ影響を来すものではなからうかと。


●昭和十二年二月二十三日 火曜日 雨曇(第七巻)

終日、イマナキ織り。夕方セルリー、ビーツの商準備。

所感
平凡なる生活が其の人を天才にするであらうか。
そうではない。世の敗残者となり、落伍者となる。
平凡そのものは尊いが、生活といふものの全体にみなぎらしては、血となり肉となる事はできない。



■ビーツ(ビート)とは
ビーツは、砂糖大根、赤大根、カエンサイ・ガーデンビート・ビーツ・ウズマキダイコンとも言い、ほうれん草などと同じアカザ科で、地中海沿岸の原産です。
ロシア料理のボルシチに入っている赤い実のようなビーツは、この料理以外には日本人には馴染みの薄い野菜です。古代ローマ人は葉と根を食用にしていたと伝えられています。そこから地中海沿岸に広まり、現在のような赤いビーツは16世紀にドイツにおいて栽培されました。
ビーツは根がカブのように肥大し紅色で、輪切りにしますと美しい輪紋があります。日本には江戸時代の「大和本草」と言う書物にこの記載があり、この頃に渡来、また明治時代初期になって再渡来しましたが、何れも普及しませんでした。砂糖を採るシュガービート(甜菜)、葉を食べるリーフビート(フダンソウ)とは同種です。しかし現在、日本では長野県や北海道で栽培されています。夏から初秋が旬、主に缶詰めで利用します。

ビーツは、飲む輸血と言われるほど、リン、ナトリウム、マグネシウム、カルシウム、鉄、カリウム、が豊富で、同様にビタミンA、C、ナイアシン、ビオチン、そして食物繊維も豊富に含まれています。またビーツに含まれる鉄は、人工製剤の鉄より一層吸収、同化され易いものです。






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2007年08月01日

1937年2月20日〜21日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年二月二十日 土曜日 晴曇(第七巻)

午前は玉葱、甘藍の追肥。午後は麦圃の中耕追肥第二回もなす。晩は早岐の西蓮寺へ説教聴きに行く。

所感
朝に礼拝、昼は汗、夜は感謝で眠りませう。
此の世から信仰を離れて一日も安心した生活が出来ない事を感謝し,
且、実際生活との連絡を迷わず、職業にも真剣であると共に拝む(己がかがむ)といふ、即ち自分が頼るべき他を尊敬し、己をひくくして反省し、此後躍進すべき原動力となるのが、即ち拝むといふ有難さとと感ぜざるを得ない。


●昭和十二年二月二十一日 日曜日 雨曇(第七巻)

午前は兄と書斎にありて、ペン筆字の稽古をなす。自転車の修理をもなす。嶋本喜志夫君からの来信ある。晩に及んで長谷川さん方へ遊ぶ。



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2007年07月22日

1937年2月18〜19日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年二月十八日 木曜日 晴曇(第七巻)

終日麦畑の中耕。

所感
人生を送るとは何か。或る頼りとすべき光りがなくてはならない。信仰の道こそ唯一の光なので恰も盲目に伴ふ目開のやうなのだ。信仰は我等の大きな生きるべき道である。


●昭和十二年二月十九日 金曜日 晴(第七巻)

午前は麦圃の中耕。午後は青年学校に出校する。晩は早岐の西蓮寺へ説教聴きに行く。

所感
今日の説教にもある如く、順豪の教え相俟って健全なる日本精神が確立する。これ実は真理だと思ふ。陰陽の電流があってこそ完全なる清い日本精神が目的の電球となって光るであらうと。



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2007年07月21日

1937年2月15〜17日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年二月十五日 月曜日 雪(第七巻)

終日障子製作。

所感
趣味といふものが人生になかったならば寂しいものである。趣味あってこそ人間の価値が認められ向上進歩するものと、


●昭和十二年二月十六日 火曜日 曇晴(第七巻)

会席用の箱を作る。鶏舎の寝所を設置する。夕方硝子障子へペンキをぬる。晩はカンナとぎ。


●昭和十二年二月十七日 水曜日 晴(第七巻)

甘藍の追肥除草、小麦の追肥も終日に及んで完終する。晩は平戸の兄さんが今福へ役場の視察に来たといって立寄る。

所感
未婚者の男女交際は神聖でなければならぬ。どこどこまでも道徳的の交際でなければあたら自己の品位を下げるのみか将来に於いても悪影響を帰すものである。



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2007年07月18日

1937年2月13〜14日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年二月十三日 土曜日 晴曇時々雨(第七巻)

終日細工。硝子障子枠四枚製作を終る。晩は雑誌を読む。

所感
出世太閤記を読んでさすが秀吉の秀吉たるに感動せざるを得ない。秀吉の一生を通じ一挙一動が天才的なるは申すに及ばず。彼がよく時世に適応した所の手段を取って、真剣に主公に熱意を表したといふのが、彼を従一位関白太政大臣迄に至らしたのであると痛感した。


●昭和十二年二月十四日 日曜日 曇(第七巻)

午前は姉の親友、厚子様宛に出す手紙を書く。午後は障子枠製作。

所感
男性の根性としての荒っぱしいものを、女性の性情によって美化し浄化するのだ。我等男性と女性は別物にしては一刻たりとも過すことは出来ぬ。


●昭和十二年二月十二日 金曜日 雨(第七巻)

午前は細工をなし、午後は青訓だった。自治会が行かれる。

所感
青年学校に於いて自治的に何事を成すといふ事はどうしても自治会の如き会を催さねば、これが現実を見ない。首脳役員たる者は師表に立たねばならんう。僕も一人で書記と摘命され、止むを得ぬ。寸時の功をも立てたいと余は思ふ。



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2007年07月17日

1937年2月10〜12日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年二月十日 水曜日 晴曇(第七巻)

市場へと法草をもって行く。斤の二銭だった。帰宅後、麦畑の中耕。


●昭和十二年二月十一日 木曜日 曇時々雨(第七巻)

兄姉等は針尾の正月にてはつりに行かる。終日温床障子枠作り。


●昭和十二年二月十二日 金曜日 雨(第七巻)

午前は細工をなし、午後は青訓だった。自治会が行かれる。

所感
青年学校に於いて自治的に何事を成すといふ事はどうしても自治会の如き会を催さねば、これが現実を見ない。首脳役員たる者は師表に立たねばならんう。僕も一人で書記と摘命され、止むを得ぬ。寸時の功をも立てたいと余は思ふ。



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2007年07月16日

1937年2月8〜9日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年二月八日 月曜日 晴曇(第七巻)

佐世保卸市場へとビーツ、セルリーを持って行く。飛行機の分列式が佐世保上空に於いて挙行されるとのことだったので行ったのであるが午前中は行れなかったので帰途に付く。日宇へ立寄り午後一時帰宅。今福へ新設の製材所へ製材に行く。晩は餅を少しつく。


●昭和十二年二月九日 火曜日 晴(第七巻)

四日踏込みの温床が順調なる発熱を見たので床土を入れ、胡瓜、南瓜、茄子、蕃茄、江戸菊の播種をなす。夕方法蓮草の市場行準備をする。



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2007年07月15日

1937年2月7 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年二月七日 日曜日 晴曇(第七巻)

紀伊子姉は富田方の一家族と同行、佐世保工廠見物。春江姉と二人終日山へ薪を取りに行く。

所感
学問といふものは愛を獲へる武器なり。しからば愛其のものより生るる幸福も学問を離れざるかは明らかである。学問こそ人間のみなし得るものであって他の動物の望まれざる所であり、これが限りなき人界発達の要素といふべきだ。ここに我等は目醒めて一躍するに至りては人生の幸福に花咲くであらう。



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2007年07月14日

1937年2月4日〜6日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年二月四日 木曜日 晴(第七巻)

兄の出勤より少し遅れて出発する。セルリービーツかなり高値にて。帰宅十一時半。自転車のクランクギヤーの心棒取替(往途折れたので)をした。午後は温床踏込。


●昭和十二年二月五日 金曜日 晴(第七巻)

午前は温床の踏込みを済まし、午後は青訓、学科授業にてかがり編みを作業さる。籾殻を帰途引いてくる。


●昭和十二年二月六日 土曜日 晴曇(第七巻)

午前は温床硝子障子を取付けた。終日麦畑の追肥中耕。晩は中村水車へ遊びに行ってラジオをきいた。



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2007年07月13日

1937年2月3日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年二月三日 水曜日 晴曇(第七巻)

温床の仕事を終日なす。夕方、ビーツセルリーの商準備

所感
時局非常の今日、既に内閣の改任に当りて軍部際よりの入閣を要求するのも帝国が此の時に際して国防上、欠くべからざる所の軍策を講ぜん為であろう。
内閣成立結果、左の如し

任内閣総理大臣兼外務大臣・文部大臣 
 陸軍大将正三位勲一等功四級  林   銑十郎
任内務大臣 従四位勲三等     川原田 稼吉
任大蔵大臣兼拓務大臣
 従六位勲六等             結城 豊太郎
任陸軍大臣
 陸軍中将正四位勲一等功四級  中村 孝太郎
任海軍大臣
 海軍中将従三位勲一等功四級  米内   光政
任司法大臣 検事正四位勲三等  ●野   季彦
任農林兼逓信大臣
 従三位勲一等             山崎 達之輔
任商工兼鉄道大臣
 海軍造兵中将正四位勲二等    伍堂   卓雄
                           以 上



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2007年07月12日

1937年2月2日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年二月二日 火曜日 曇雨(第七巻)

読書をなす。午後は二日やーととかで遊ぶ。高川君を連れて来る嫁さんを見たいとの注文だったから。

所感
農が国家社会の淵源であると同時に心身を健全ならしめるは申すに及ばない。しかし智の進歩は農には妨害なるかもしれない。



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2007年07月10日

1937年2月1日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年二月一日 月曜日 雨(第七巻)

書籍の整理をなし読書する。晩も故兄の筆跡を読んでは感嘆の至りだった。

所感
逝かれし兄は御生前に於て精神的努力者として大いに活躍されて居られる。殆んど青壮年期は学問生活だ。しかし実に彼は学問に生きて過された。学問といふものをまるで人間を養ふ要素かのやうに、そして氏は死の直前まで学問を尊ぶ。彼の心中を思う時、愚かなる弟の僕も何だか励まされるやうな気がする。兄上の筆跡こそ彼の全精神であり、全魂であるのだ。弟たる僕等を指導せんとする遺書なのだ。吾等はこれを繙かねばならない。そして兄の美徳を万分の一なりとも輝かさなくてはならぬ。

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2007年07月09日

1937年1月31日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年一月三十一日 日曜日 晴曇(第七巻)

好天気に恵まれ且つ兄をも工廠の休みにて大人数にて仕事をなす。午前は改植桑園へ堆肥をやり、午後は麦圃の追肥中耕、玉葱の植付も少しやる。

所感
健康体の幸福といふものは、現在健康に遭遇しているものの感謝すべきであるにも拘らず、当人たるのものは其の幸福も尚又色々な欲望を感じないで自己の現在の幸福に感謝しようとはしない。だから健康其のものが如何に向上発達の力を占有していてもこれを運用する所の人間に自覚がないから、この尊き健康其のものの価値がなくなるばかりか之を運用する健康の持主も零である。かかる意味に於て健康の有意義なる運用が処世の一大改革にどれだけの力を持つかを考慮すべきである。

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2007年07月07日

1937年1月30日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年一月三十日 土曜日 晴(第七巻)

午前は工事施工の整地をなし、午後に及んで裸麦の播種を済まし暮れ方迄かかる。

所感
或仕事を始めて完了したる時の眺めこそ一種無量の感が湧起らざるを得ない。着業時の気分と現在の心持とは珠更の異様を来しているがこれも全く努力と忍耐の賜なりといふ事が出来る。何事も終始貫徹の念が欠けては成功せぬ。いはんや、人生の第一条件否成功の秘訣は忍耐努力の融合の調和によって生ずるものではあるまいかと余は解決する。


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2007年07月06日

1937年1月28日〜29日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年一月二十八日 木曜日 雨曇(第七巻)

午前は収納屋の整頓をなし、午後はいなまきを織る。晩も兄と二人で織る。


●昭和十二年一月二十九日 金曜日 晴曇(第七巻)

午前はいなまきを織る。午後は青訓にて甘藷品評会賞与式並びに自治会行はる。新設の笹口鍼灸科へ腰腕の治療を受ける。姉は早岐の共栄座へ歌劇魔術団の一座を見物に行かれた。


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2007年06月26日

1937年1月26日〜27日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年一月二十六日 火曜日 晴(第七巻)

午前は甘藍の追肥をなす。午後は桑苗の植付一畝十八歩の畑へ百五十本植込。五十本ばかり不足した。


●昭和十二年一月二十七日 水曜日 晴曇(第七巻)

小春日和である。終日工事中の麦田の作土ひろげだった。姉二人で僕まで三人で大体なす。夕方遅く迄整地。父は富恵方と交換されし田の田際畦堤の地堅めらる。晩は簡易保険局主催の映写観覧。



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2007年06月24日

1937年1月24日〜25日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年一月二十四日 日曜日 晴(第七巻)

久しぶりのお天気だった。平戸の姉達は午後一時のバスにて帰家さる。姉が佐世保まで見送り、晩もかへらない。日宇泊りであらう。
午前はこもを編む。午後はほし大根の整理をなし大根の引揚げをする。晩は今日撮したのを現像する。


●昭和十二年一月二十五日 月曜日 曇雨(第七巻)

やう降れば降るものといふやうに雨だ。午前は己敏君が帰郷した事を聞いたので遊びに行って色々談る。彼の帰郷は職業転交の意味らしかった。午後は家にてこも編み。晩は焼付。



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2007年06月23日

1937年1月20日〜23日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年一月二十日 水曜日 曇晴(第七巻)

午前は撮影をなし、午後は早岐へ診断書をもらいに行く。夕方は中村水車の祝儀にてたんすいないに行く。姉母は加勢に行かれ結婚式完了は明朝3時だったそう。


●昭和十二年一月二十一日 木曜日 曇雨(第七巻)

雨にて終日家に居て、午後は温床の覆こもを編む


●昭和十二年一月二十二日 金曜日 曇雨(第七巻)

午前はこも編みをなす。午後は青訓だった。


●昭和十二年一月二十三日 土曜日 曇晴時々雨(第七巻)

午前はこもあみ。午後は精米所へ遊ぶ。



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2007年06月22日

1937年1月17日〜19日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年一月十七日 日曜日 曇(第七巻)

寝たり起きたりする食欲は大へん進むのであるが、顔面のはれが取れぬ。はぢ負けのやうにも疑はる。兄は休日だったので工事に働かる。


●昭和十二年一月十八日 月曜日 曇時々晴(第七巻)

午前は寝床する。午後は起きてこそこそする。神使の如き仙人見たような者が来て相を見てやるといって来た。彼は非常に異っていて何となく嬉しいと云ひて朗らかである。人の将来がわかるといふから相当の修業を積んだ者らしかった。「忠孝 ●●て春き美とり子守歌kへ聞くたびに母の喜び ●併」との書を残して去った。姉も感服なされざを得なかった。


●昭和十二年一月十九日 火曜日 雨(第七巻)

終日家に在りて遊ぶ。歌を歌ったりなんかして。


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posted by gaku at 23:24| 長崎 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 父の日記1937.01-04 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月21日

1937年1月14日〜16日 父満十八才の時の日記

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今日6月21日は父の命日


●昭和十二年一月十四日 木曜日 晴(第七巻)

工事中の田地の盤下げをなす。家人ばかりにて。


●昭和十二年一月十五日 金曜日 晴(第七巻)

今日は富田方からも二人出らる。午後は青訓にも出て四時頃より仕事にでる。盤下げはあと少しとなる。


●昭和十二年一月十六日 土曜日 晴曇(第七巻)

午前は女子教授視察の為、我青年学校生活は出席して活躍する。
午後は顔面状態が悪いので就床する。麻疹ではあるまいかと思はる。晩に及んで少し熱が出る。


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posted by gaku at 12:07| 長崎 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 父の日記1937.01-04 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月20日

1937年1月11日〜13日 父満十八才の時の日記

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父十八歳の誕生日を迎える。


●昭和十二年一月十一日 月曜日 雪曇(第七巻)

午前は雜を配って廻る。午後は自転車をなぶる。

所感
考えて見ると一日といふものが無意味なる時は、それだけ人生の逆退で一日一日がこれを有効に用ひらるに至ってこそ進歩発展の実をあぐるものと僕は確信する。実業家にせよ教育家にせよ政治家にせよ、自職にかなった策を講じてより発進の効を納むべきだ。


●昭和十二年一月十二日 火曜日 雪後晴(第七巻)

午前は薪木の伐採。午後は菊畑の除草整理。


●昭和十二年一月十三日 水曜日 晴(第七巻)

大霜にて午前は山に行く。午後は宗方の堆肥をとる。晩は早く寝た。


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posted by gaku at 16:27| 長崎 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 父の日記1937.01-04 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月08日

1937年1月9日〜10日 父満十七才の時の日記

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●昭和十二年一月九日 土曜日 曇(第七巻)

終日薪木の伐採。

所感
経験なき若人の独断行動は失敗の淵源である。よく経験者の言を参考にして理知を弁へて堅く一歩一歩と進むべきと思ふ。


●昭和十二年一月十日 日曜日 曇晴雪時々(第七巻)

初雪が降る。俄に天気となる。床土の消害をなし、松を一本倒ふす。
午後は部落情会。兄の自転車のチェンの取替へをなす。

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posted by gaku at 23:22| 長崎 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 父の日記1937.01-04 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月07日

1937年1月8日 父満十七才の時の日記

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●昭和十二年一月八日 金曜日 曇(第七巻)

早岐警察署管轄内三町五ヶ村の消防組出初式が我が小学校に於て行はる。支部別の婦人会及び女子青年団等の飲食店も設られ、大々的出初式の出現だった。放水試験は午後に及び公表迄にて午後三時半終了する。午後五時帰宅。

所感
消防は唯単に火を消すのみが役目ではない。人民の生命財産の保護にも警察の背景より甚大なる処の後援をしつつあるは今更列記を要しない。故に消防の重務は文明界となるに従って一層必件となるのみならず、組員の自覚も亦確実でなければならない。


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2007年06月06日

1937年1月7日 父満十七才の時の日記

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●昭和十二年一月七日 木曜日 晴(第七巻)

今日は早岐団体で祐徳神社参拝に加はる。年頭の誓言を祈り帰宅す。

所感
年頭の神社参拝こそ一ヵ年を正粛に送るに必要なる精神修養ではあるまいか。柏手打って頭を垂れたるその潔白なる心こそ人間の誠心である。


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posted by gaku at 06:02| 長崎 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 父の日記1937.01-04 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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