今日から父とともに生きる。

父の死後から45年、父との生活を11年間の短い間しか送ることのできなかった私は
残された父の日記を読み返しながら、
直接聞くことのなかった父の生き様や考え方を知り、
残された私の人生が少しでも豊かなものになるよう、父と共に生きようと思う。
(2006.2.14.by son)



2006年12月11日

1935年12月28日〜31日 父十六才の時の日記

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●昭和十年十二月二十八日 土曜日 晴(第七巻)

又、松竹梅の商に有田へ姉と行く。よく賣れ午後四時にかへる。
夕方商仕度、晩も兄の佐世保行も。


●昭和十年十二月二十九日 日曜日 晴曇(第七巻)

兄は佐世保へ〆商に行かれた。
有田へ松竹梅、〆をもって行く。今日もよく賣れ母子三人連れにて
かへる。午後二時半歸宅。
中食後、言ひ事講論にて母と兄とけんくわせねばならなかった。
これも少しの原因(母が僕をけいべつしたので腹を立てたのが)である。
しかしこんな事も後世、いましめにもなれば一つの修養なり。
しかし僕も悪い。これしきのの事に腹を立てて母親に対当するのも悪いのだ。
夕方をこれではいかんと年末早々と思って気を朗らかに持って又商の仕度。
晩も佐世保行の仕度にて十時半就床。


●昭和十年十二月三十日 月曜日 晴曇(第七巻)

今日より佐世保〆縄正月商にて兄と二人リヤカーにて午前四時半出發。
〆、松竹梅の商状相当よく、たいまい五円を賣上げた。
(夜店に居店をだして)晩も十一時頃まで商ひ引上げ。宿は金江方に
母とお世話になる。


●昭和十年十二月三十一日 火曜日 晴曇(第七巻)

終日佐世保にて正月商ひ。賣行も調子よく晩は九時頃引上げ。
歸宅十二時、七・八十ゴンボ〆が賣残る。

所感
昭和十年も今日今夜を以て終りである。ありとあらゆるものは皆
新春を迎ふるのだ。否この十年を過ぎ去ろうとしているのである。
楽しくもあった。又断腹想ひせつなきも夢路の如く思い察するに
この一ヶ年なんと起伏高低の極なるや。

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2006年12月09日

1935年12月22日〜27日 父十六才の時の日記

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●昭和十年十二月二十二日 日曜日 曇時々雪(第七巻)

姉と二人で早生甘藍の定植をなす。午後は牛舎の堆肥を積んだ。
兄は中村水車へ仕事に行かる。父も今日は栗枝取りにて終日。


●昭和十年十二月二十三日 月曜日 晴(第七巻)

午前中は大雪にて〆縄の芯作り。午後は父と三人で夏菊の植かへをなす。
母糯米洗ひかれこれ。兄は又中村水車へ。姉は兄に着物を繊ひ仕事をさる。


●昭和十年十二月二十四日 火曜日 晴(第七巻)

温床の仕事にて床土、堆積物の消毒、切替へをなし、春草花
(アスター、アネモネ等)の霜除覆をなす。
夕方、明日の有田〆縄商の仕度。晩に及んでなす。


●昭和十年十二月二十五日 水曜日 晴(第七巻)

有田へ〆縄商に行く。自分一人出發したが案外賣行良く、
二円余を得た。歸宅午後十二時半。


●昭和十年十二月二十六日 木曜日 曇一時雨(第七巻)

姉と二人有田へ〆縄商に行く。二円五十銭を賣って午後四時歸宅。
其後又明日商仕度。松竹梅かれこれ


●昭和十年十二月二十七日 金曜日 曇雨(第七巻)

有田へ〆、松竹梅の商にて雨のため夕方迄で賣りしが、有田出發
午後四時過だったので歸途暗くなった。吉福まで兄が心配して
迎へにこらる。晩までかかって商ふた事は今日始めてだ。
晩は又商仕度。

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2006年12月08日

1935年12月17日〜21日 父十六才の時の日記

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●昭和十年十二月十七日 火曜日 雨後曇(第七巻)

今日は兄と二人で俵装をなす。夕方僕は塩屋へ糯米搗きに行く。


●昭和十年十二月十八日 水曜日 晴曇小雪(第七巻)

富田君と福本方の死去通知の便に廻る。
波佐見、三川内、下ノ原、権常寺と廻る。午後二時四十五分の
列車より福本七郎さんの死骸が送られ三川内駅にて弔迎する。
夕方、ビーツ、セルリーの市場行仕度。


●昭和十年十二月十九日 木曜日 晴(第七巻)

市場へと行く。市価激高にて二円余を得た。セルリーの如きは
八束で一円四十だった。兄の写真材を求めて来た。此の前ので
全部揃ふた。歸宅後午後は廣田より樂を持って来られしを木原
と塩に届けに行き福本方の葬儀にのぞむ。晩は兄と写真の現像
をなす。


●昭和十年十二月二十日 金曜日 晴(第七巻)

大変なる霜だ。午前中は十時頃より粟跡畑を耕す。午後は青訓
歸りに島本君をセルリーを買いに来たので四十銭がとやった。
晩は又写真の乾板現像(午間に家内夫々撮りしを)だった。


●昭和十年十二月二十一日 土曜日 晴曇一時雨(第七巻)

午前は塩屋へ粟搗きに行き甘藍定植の準備。午後にかけて中生
ザタヤ甘藍の定植を済ます。兄は昨日から今日にかけて中村方
に仕事に行かる。晩は印画焼付現像、吾等は上手に出来ていた。

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2006年12月07日

1935年12月11日〜16日 父十六才の時の日記

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●昭和十年十二月十一日 水曜日 晴曇(第七巻)

非常に寒い。終日畑の小麥作り。(一反余を済ます。)
晩は〆縄作り。(二十)


●昭和十年十二月十二日 木曜日 晴曇(第七巻)

畑の小麥作り。大体は終る(二反半程)兄は正午頃村社参詣に行かる。


●昭和十年十二月十三日 金曜日 晴曇一時吹雪(第七巻)

ここ二・三日は小雪にて寒い。新開きの小麥作り。
午後は青訓にて三時頃歸宅しセルリー、夏蒔甘らん、●花に追肥をなし
夕方牛蒡掘り。


●昭和十年十二月十四日 土曜日 晴(第七巻)

春牛蒡の跡を耕して小麥作り。里芋の掘揚げ。午後は玉葱植付けを
なす。晩は〆縄作り(小を二十七)
兄は日宇に行かる晩より職工就職のことについて。


●昭和十年十二月十五日 日曜日 晴(第七巻)

玉葱植へ。父は午後は黒髪講に行かれ兄も日宇より歸宅されなかった。
晩は〆縄作り(小を二十五)


●昭和十年十二月十六日 月曜日 晴後曇(第七巻)

玉葱を植へ込んでしまふ。午後は早生甘藍の定植をもなす。
(三百七十八本)晩は〆縄小三十二を作る。
母は黒髪山より熊笹を取りに行かれ晩遅く歸宅さる。

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2006年12月06日

1935年12月7日〜10日 父十六才の時の日記

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●昭和十年十二月七日 土曜日 晴(第七巻)

蕎麦の収納にて終日にわたる。夕方新開の麥田をこなす。
晩は又〆縄作り。


●昭和十年十二月八日 日曜日 晴曇朝方一時雨(第七巻)

午前は兄と〆のしん作り。午後は小谷の角力見物。晩は〆縄作り
(三晩にて七十余を仕上た)

所感
角力の如きは真に面白い。だがこれは第三者たるの想にして本人
たるは体力増進はいふまでもなく、強い所の男性的精神を多分に
築くものと思ふ。


●昭和十年十二月九日 月曜日 晴曇一時雨(第七巻)

終日兄と二人で〆縄作り(四十を仕上く)夕方ビーツ、セルリー
を市場行の仕度をなす。


●昭和十年十二月十日 火曜日 晴曇(第七巻)

市場よりは午前中にかへり(安い)午後は畑の埋め打ちをなす。
晩は〆作り(二十)

所感
今日の如く寒いなれど一生懸命に働けば努力の賜ともいふべきか
自然に暖りいひしれぬ温快を感ずる。これに反し寒気に打負けし
者たるやかへって保温なく精神上より見ても稍の決かんあるは
当然のことである。

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2006年12月05日

1935年12月1日〜6日 父十六才の時の日記

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●昭和十年十二月一日 日曜日 雨曇(第七巻)

僕は床の中からいきなりはね起きた。兄の退營を迎える日だ。
何となく嬉しいやうなそして二年振りの兄と会へるかと思へば
懐古の情にうたざれるを得ない。
平戸の兄を朝方駅まで自転車に乗せて見送り歸途中兄より午後二時四十分
三川内着との電報がとどいたので中食後、平戸の姉と有田駅まで行き
(西肥にて)兄と同車に同乗して来た。晩に至って兄の退營を祝ふた。
兄は親友との情話がかはされた。


●昭和十年十二月二日 月曜日 晴(第七巻)

午前は兄と除隊記念品の準備をなし免内に配礼する。
兄は免内挨拶に廻らる。
午後は籾摺、坂本方の二十余俵をなす。


●昭和十年十二月三日 火曜日 晴(第七巻)

午前は兄の御礼状を書きに同机し、午後は写真をはる。
晩兄は長谷川安君宅に遊びに行かる。


●昭和十年十二月四日 水曜日 雨曇(第七巻)

午前中は姉と粟引き。午後は自家の籾摺をなす。
二十五俵を摺る。兄も仕事さる。


●昭和十年十二月五日 木曜日 雨後曇(第七巻)

雨にて兄と書机にて遊び、夕方〆縄のしん造り。


●昭和十年十二月六日 金曜日 晴(第七巻)

午前は〆縄のしん作り、山ノ田へ盃を持って行く。
午後は青訓(教練)にて晩は〆縄作り。十時半就床。

所感
遊んだ後の気持と勢々しく働いた後の気分とは全く明暗の差が生ずる。
されば精神的愉快を感じる者は働く者のみにして甚大の奉福者なり。
遊者こそ国賊なり。精神不浄の人といふべきだ。さればこそ汗と油の
萬金にかへ難き価値があるのであると思ふ。

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2006年12月04日

1935年11月24日〜30日 父十六才の時の日記

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●昭和十年十一月二十四日 日曜日 曇後雨(第七巻)

午前中は麥作り。
午後は雨にてにはかの準備で晩までえりこりかれこれ。


●昭和十年十一月二十五日 月曜日 晴曇(第七巻)

早朝より江永に於て、にはかの準備仕度をなし午後十二時半出發し
式場に向ふ。我々にはか連中は(江永、吉福、口ノ尾)三十余名は
うまく踊って新築落成祝の気分を十二分に發揮した。連中は歸途
かどかどに踊りて江永を家々に廻ったので晩に及ぶ。終ってから
一同は疲労宴会にて非常に賑ふた。口ノ尾連中は一所に引き上げ
富田方にて茶菓会をなす。


●昭和十年十一月二十六日 火曜日 晴(第七巻)

終日裸麥作り(七畝)


●昭和十年十一月二十七日 水曜日 晴(第七巻)

終日裸麥作り。庭木方より加勢にこらる。


●昭和十年十一月二十八日 木曜日 曇後雨(第七巻)

終日小麥作り(二反を済ます)夕方雨前に仕事を済まえた。
庭木方より二人加勢にこらる。


●昭和十年十一月二十九日 金曜日 曇晴(第七巻)

午前は牛蒡掘ったりピーツ、セルリーの商準備。
午後は歸宅後商準備。


●昭和十年十一月三十日 土曜日 晴(第七巻)

市場へ行く。大へん値がよかった。セルリーの如きは四束で五十銭。
ビーツも十六束で一円五十銭にせれ午前中にかへる。午後はえだ菊
深葱苗床の除草をなしセルリーの手入れ。粟引きだった。
夕方平戸の姉達一家が、潮兄の退營を迎える為お見えになり続いて
日宇の姑さんがお見えになる。

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2006年12月02日

1935年11月16日〜23日 父十六才の時の日記

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●昭和十年十一月十六日 土曜日 晴(第七巻)

午前はにはび。午後も二時頃までかかって全部済まし精米所に
糯籾摺りにいく。夕方商の仕度・


●昭和十年十一月十七日 日曜日 雨後晴曇(第七巻)

有田へ姉と商に行く。歸宅後糯米●きに行き夕方白菜の間引。


●昭和十年十一月十八日 月曜日 晴(第七巻)

午前は蕎麦刈り、粟ちぎり。午後は父と組合へ米を引いて行く。
(早生粳十俵)晩は餅付き。日宇の吉田さんがお出でになった。


●昭和十年十一月十九日 火曜日 晴(第七巻)

終日甘藷掘り、かまぶたの分は済ます。
晩は江永へ仮装行列の話会に行く。


●昭和十年十一月二十日 水曜日 晴(第七巻)

終日甘藷掘り。辻の分を済ます。


●昭和十年十一月二十一日 木曜日 晴(第七巻)

午前は庭木方の麥田をかき、芋を掘る。全部終る。
午後はセルリー、豌豆、大根かふの中耕をなす。
晩は富田方にて俵装に行く。


●昭和十年十一月二十二日 金曜日 晴(第七巻)

終日小麥作り。(みぞべたの分を済ます。)夕方、高菜、四月白菜の
定根をなし晩は九時迄俵あみ。


●昭和十年十一月二十三日 土曜日 晴後曇(第七巻)

終日小麥作り(八畝)夕方籾をくらに取入れ晩は江永へ踊りのけいこ。

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2006年12月01日

1935年11月11日〜15日 父十六才の時の日記

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●昭和十年十一月十一日 月曜日 晴(第七巻)

終日麥田耕し、一反半済ます。

所感
単に田耕といへども研究的に見ればまだまだ改良すべき所が
なきにしもあらず。すべてがそうだ、平素の研察により発明
が生ずるのである。


●昭和十年十一月十二日 火曜日 晴曇(第七巻)

終日麥田耕し。晩は俵装をなす。


●昭和十年十一月十三日 水曜日 晴(第七巻)

午前は麥田耕。午後は保安殿の落成式に列席し夕方少し田耕しをなし
晩は又俵装。


●昭和十年十一月十四日 木曜日 晴曇(第七巻)

終日畑の手入れ。ビーツ、セルリー、法草、甘藍畑の中耕。
豌豆の間引、結才の間引をなす。晩は父と鞍の修繕。


●昭和十年十一月十五日 金曜日 雨曇(第七巻)

午前は父と鞍の修繕をなす。午後は当夜角力の」準備かれこれをなしたが
降雨が夕方になって裂しかったので会所にて宴会を催し一同楽しく賑はし
晩九時頃開散する。

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2006年11月30日

1935年11月7日〜10日 父十六才の時の日記

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1935.11.9-11.15.jpg

●昭和十年十一月七日 木曜日 晴(第七巻)

有田へ商にいく。結才、菊、法草をもって。今日は祖母上様の
年忌法要にて歸宅後は土寄せにいったりお墓にいったりする。
夕方藁を上げて中生サダヤ甘藍の仮植。

所感
今日の祖母上様のお祭りこそ真に尊敬すべき執事なのだ。
草葉の露に眠れる祖母上も我々孫子の華かなるこの世の存在が
どんなに清く光々しく映るであらう。


●昭和十年十一月八日 金曜日 晴(第七巻)

終日稲扱ぎ(姉がよせ方、僕が扱いだ)午後は夕方稲を少しよせる。
(神愛、いかりいわは扱済む)


●昭和十年十一月九日 土曜日 晴(第七巻)

終日母と二人で稲扱、姉と父はよせかたにて四百足らずを扱ぐ。
朝方は塩屋へ玄米ひきにいく。晩は俵あみ。


●昭和十年十一月十日 日曜日 晴(第七巻)

終日稲扱。父と姉が寄せ方にて今日も以て全部、
扱方は午後三時頃迄にて済んだ。
其後にはびをなし夕方中生甘藍の仮植。晩は俵あみ。

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2006年11月29日

1935年11月1日〜6日 父十六才の時の日記

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●昭和十年十一月一日 金曜日 晴(第七巻)

終日籾摺。夕方早生甘藍の仮うえ。


●昭和十年十一月二日 土曜日 晴曇(第七巻)

終日稲刈り。夕方まるかして寄せた。


●昭和十年十一月三日 日曜日 曇後雨(第七巻)

午前は稲のよせ方にて五百余よる。午後は雨にて稲扱ぎ(二百五十ぱ)
姉は佐世保くんちに。


●昭和十年十一月四日 月曜日 曇後晴(第七巻)

稲扱ぎ。午後は三時過よりにはびをなす。晩は細縄なひ。


●昭和十年十一月五日 火曜日 晴(第七巻)

終日稲刈り。今日にて全部終る。夕方菜を間引きする。
晩は俵あみ。

所感
我々青年は常に温故知新の精神を失ってはならぬ。現代に適応せる
新物器の作成も全く意義ある青年の知能に待つべきである。


●昭和十年十一月六日 水曜日 晴(第七巻)

終日稲扱ぎ(姉がよせ込み、僕が扱いだ。四百足らず)
夕方結才を取って商の仕度。晩は道路愛護の映画見に行く。


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2006年11月28日

1935年10月29日〜31日 父十六才の時の日記

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●昭和十年十月二十九日 火曜日 晴(第七巻)

市場へ菜豆、牛蒡をもって行き午前中にかへる。
午後は麥田耕し(一反三畝を済す)平戸の兄が佐世保へ出張の
折といっておいでになり晩は楽しく一夜を過す。

所感
離別の生活にあって双方親しい間柄にとっては面会といふもの
ほど望ましいものはない。懐しく激大なる親活が保たる。


●昭和十年十月三十日 水曜日 晴(第七巻)

午前中は麥田耕し(七畝ばかり)午後は籾摺の試運転に出、
晩まで含み方だった。午後三時兄がかへらる。

所感
動物にとって産子といふものは重大視しなければならない。
同類繁殖なれば動物はこれにより進化しなければ理がたたぬ。
千変万化してこそ始めて動物たるの進化が成立つのだ。
人間ももとをただせば下等動物たりしことがわかる。それが
進化して今日に到りては万物の霊長となりしなり。


●昭和十年十月三十一日 木曜日 晴(第七巻)

終日籾摺。夕方早生甘藍の仮植。


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2006年11月27日

1935年10月25日〜28日 父十六才の時の日記

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●昭和十年十月二十五日 金曜日 曇後雨(第七巻)

秋トマトの跡畑を耕し豌豆を播く。


●昭和十年十月二十六日 土曜日 曇後雨(第七巻)

午前はにはび。午後も三時頃まで其後収納屋の整頓をなす。
晩姉等は明日の大村行の(女子青年團総会運動会)弁当ごしらえ。


●昭和十年十月二十七日 日曜日 晴(第七巻)

午前中は収納屋の整頓、臼くり。午後は麥田よけ揚げ。

所感
文明界に於て、智識競争が盛んになりしといへども抜群の
士たる人格者、即ち権威者たるはその数稀なり。
平素忍耐力強く刻々と努力せし者こそ最後の勝利者たれ。


●昭和十年十月二十八日 月曜日 晴(第七巻)

午前は中生いかりわの稻刈り。午後も三時頃、其後明日の商い準備。

所感
農家たるものはあらゆる他の職業よりも経済的生活を営むに主眼と
しなければ、他の職業より収入支出の調度に多大の影響を来すとい
ふのは上流家庭の如き折々の収入を見ないというのが一原因である。
されど農家は生活程度が低いため相当の自作農をなし、近代的集約
農法を営み多角形たる農業者は、いふも雄々しい丈夫い人生渡世の
前途有望なる職業だとおもふ。


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2006年11月26日

1935年10月19日〜25日 父十六才の時の日記

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●昭和十年十月十九日 土曜日 晴曇(第七巻)

終日稻扱ぎ。姉と二人で四百束足らずを扱ぎ赤早生だけは済む。
暮方早生糯をよせる。


●昭和十年十月二十日 日曜日 晴(第七巻)

午前にて糯を扱終る。午後は姉と辻の牛蒡を掘りに行き、
手紙を朝鮮の兄へ出し夕方ビーツ畑の中耕。
姉は明日の商の準備。


●昭和十年十月二十一日 月曜日 晴(第七巻)

午前は法草畑の中耕をなし、父と二人で蓮を掘る。
午後は青訓だった。


●昭和十年十月二十二日 火曜日 晴(第七巻)

午前は籾乾しをなし吉福の秋祭市に行き蓮掘り。
午後は籾摺に行き夕方は籾を取込む。


●昭和十年十月二十三日 水曜日 晴(第七巻)

終日遊び。中村方へ御馳走にいったりする。

所感
人間は万物の霊長たり、云はんや進化的性能は十二分に
持有していると思ふ。さればこれを發揮して啓蒙向上の
地位に乗ずるは世人の光道ではあるまいか。


●昭和十年十月二十四日 木曜日 晴(第七巻)

籾を乾しセルリー、白菜、甘藷畑の施肥中耕をなす。

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2006年11月25日

1935年10月13日〜18日 父十六才の時の日記

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●昭和十年十月十三日 日曜日 晴(第七巻)

終日稻刈り。


●昭和十年十月十四日 月曜日 晴(第七巻)

午前中は道路修繕のやりなをしにて仕事をなす。
午後は菜葉の間引に連掘り。夕方稻扱機を取りにいき里芋を掘る。
晩はその仕事だった。


●昭和十年十月十五日 火曜日 曇(第七巻)

里芋をもって市場へいく。歸途粟、松茸を仕入れてくる。
粟は斤十二銭五厘(三十六斤)松茸は斤二十三銭(六斤二合五勺)


●昭和十年十月十六日 水曜日 曇後晴(第七巻)

有田へ供日市商にて粟、松茸を賣りにいく。大したもうけをなかった。
午後は三時にかへり稻扱。

●昭和十年十月十七日 木曜日 晴(第七巻)

午前は稻刈り(早生糯)午後は稻扱四時頃より稻寄せ。


●昭和十年十月十八日 金曜日 晴(第七巻)

午前は稻扱。午後訓練早引にて四時にかへり其後稻よせ。
母は崎岡の供日へ。

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2006年11月24日

1935年10月6日〜12日 父十六才の時の日記

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●昭和十年十月六日 日曜日 晴(第七巻)

ラッキョを植付け。ホーヅキ、苺の植付をなす。
夕方白菜、大根畑の中耕。姉は平戸へ消防の家族慰安にて旅行さる。

●昭和十年十月七日 月曜日 晴(第七巻)

朝方くい木の整頓をなし玉葱を植付けて大根畑の中耕をなす。
午後はビーツ、白菜畑の中耕をなし夕方里芋を掘る。
晩は映写会に行く。


●昭和十年十月八日 火曜日 晴(第七巻)

里芋をもって富田君と連れなって市場へ行く。歸途市中に於て
自轉車と正面衝突をなし身体には何ら傷なかったが車のホークが曲がった。
修繕をなし(一円三十銭かかる)午前十一時前に出發す。
里芋は安し、傷をする誠な不運であった。午後〇時半にかへり、
白菜の害虫駆除をなし赤土運び。収納屋の整頓整理にて父や姉は励まる。


●昭和十年十月九日 水曜日 晴曇(第七巻)

朝食後七時五十分牛子一匹(雄)出産す。
午前はサダヤ中生甘藍の播種をなし、甘藷のあ蔓返し。
午後は美濃早生大根のさるは虫駆除をなし荒畑耕き。


●昭和十年十月十日 木曜日 曇時々雨(第七巻)

午前は玉葱の覆を取去り、午後は大根の中耕をなす。
そして父が追肥をさる。里芋の土寄せもなす。


●昭和十年十月十一日 金曜日 晴曇(第七巻)

青年團の道路修繕にて終日にわたりぬ。


●昭和十年十月十二日 土曜日 晴(第七巻)

終日稻刈り。夕方肥料引きにいく。

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2006年11月23日

1935年10月1日〜5日 父十六才の時の日記

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●昭和十年十月一日 火曜日 晴曇(第七巻)

午前は堆肥を基肥とし愛知白菜の播種。
午後は菜豆跡畑を耕しセルリーの定植。法薐草の播種。


●昭和十年十月二日 水曜日 曇時々雨(第七巻)

朝方T号極早生甘藍、ザタヤ早生桑夏蒔甘藍、九條葱の播種。
學校へ行ったが防空演習が天候不良の為順延さる。(五日)
歸宅後カーネション、ペチニヤの播種。
午後は愛知白菜畑の
中耕除草をなし追肥をす。アネモネの下種、大輪牡丹咲けし
の播種。


●昭和十年十月三日 木曜日 晴(第七巻)

午前中はカタシ取り。
午後はコナスターの修繕をなし大晩生長崎白菜、紫大高菜の播種。
アスター(えだ菊)の播種。


●昭和十年十月四日 金曜日 晴(第七巻)

市場へ行く柿をもって(四銭二厘)午前中にかへる。
午後は春大根、聖護院大根、とやかぶの播種。


●昭和十年十月五日 土曜日 晴(第七巻)

終日防空演習にて活躍し対空監視所にてその任に当り、
夜は十二時まで警戒す。

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2006年11月22日

1935年9月29日〜30日 父十六才の時の日記

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●昭和十年九月二十九日 日曜日 晴(第七巻)

有田へ商に行き午前中にかへる。
午後は畑を耕耘し法薐草とくばか葱の下種をなし
父と夕方籾摺に行って夜に入りてかへる。(五俵半)


●昭和十年九月三十日 月曜日 晴(第七巻)

胡瓜の手入れをなし空畑を父と二人で耕し
夕方夏蒔甘藍、セルリーの定植、法薐草播種。

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2006年11月21日

1935年9月22日〜28日 父十六才の時の日記

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●昭和十年九月二十二日 日曜日 晴(第七巻)

終日竹細工。


●昭和十年九月二十三日 月曜日 晴曇(第七巻)

終日竹細工(今日にてにないかご一荷が造り終る。)


●昭和十年九月二十四日 火曜日 暴風雨(第七巻)

終日竹細工。へぎをする。晩はアジロ掛け。


●昭和十年九月二十五日 水曜日 晴曇(第七巻)

終日竹細工。晩はふちまき片方を済ます。


●昭和十年九月二十六日 木曜日 晴曇(第七巻)

終日竹細工。ふちまきを仕上げちからへぎを入れる。
夕方長谷川安さんと塩屋へ籾摺にいく。


●昭和十年九月二十七日 金曜日 晴(第七巻)

午前はかごのひもたてをなし支那秋胡瓜の種を取る。


●昭和十年九月二十八日 土曜日 晴(第七巻)

有田へ商に行き午前中にかへり蓮根を掘る。
午後は青年團の運動会には行かず玉葱の播種。

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2006年11月20日

1935年9月15日〜21日 父十六才の時の日記

1935.9.11-9.18.jpg

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●昭和十年九月十五日 日曜日 晴(第七巻)

午前は秋菜豆、白菜畑の中耕作をなし、午後は白菜畑の中耕を
なしてから蓮を掘ったりして明日の有田商の準備。


●昭和十年九月十六日 月曜日 晴後曇雨(第七巻)

有田へ蓮、玉葱を賣りに行く。午前中にかへり午後は大根の
一齊蚜虫駆除をなし夕方蓮根を掘る。雨が夕方より降って困った。


●昭和十年九月十七日 火曜日 雨(第七巻)

雨にて終日家にあり。鶏舎の修繕、塵取りを作ったりし
兄に出す手紙を認める。


●昭和十年九月十八日 水曜日 曇後晴(第七巻)

有田へ商に行き午前中にかへる。午後は心野観音堂祭に行く。


●昭和十年九月十九日 木曜日 晴(第七巻)

午前中は宮津大根の播種。午後は廣田住吉神社の角力見に行く。
歸宅後夕方●場する。


●昭和十年九月二十日 金曜日 晴曇(第七巻)

終日蕎麦畑の中耕。夕方白菜の蚜虫駆除。


●昭和十年九月二十一日 土曜日 雨天(第七巻)

終日竹細工。

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posted by gaku at 07:53| 長崎 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 父の日記1935.09-12 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月19日

1935年9月8日〜14日 父十六才の時の日記

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●昭和十年九月八日 日曜日 晴曇後雨(第七巻)

終日訓練にて過す。


●昭和十年九月九日 月曜日 雨風強(第七巻)

玉葱の出荷準備。自轉車のタイヤーを新品と取替へる。


●昭和十年九月十日 火曜日 晴曇(第七巻)

終日水田の除草。四反程を済ます。玉葱四叺を自動車にて送る。
夕方市場行きの仕度をなす。


●昭和十年九月十一日 水曜日 晴(第七巻)

市場へ行く。(結才、葱、胡瓜、箒、玉葱四叺三八八斤、一銭七厘)
午前中にかへる。(姉の腕時計を買って来てやる。)
午後は青訓だった。夕方大根畑の中耕。


●昭和十年九月十二日 木曜日 晴(第七巻)

午前六時上ノ宮神社集合にて我が折尾瀬青年訓練は
直ちに早岐小學校にと向ふ。
査閲の結果は好成績にて午後五時歸宅。其後大根畑の中耕。


●昭和十年九月十三日 金曜日 晴一時雨(第七巻)

終日水田の除草(落成した)夕方結才の商準備。
姉の有田行きの蓮根を少し掘る。


●昭和十年九月十四日 土曜日 晴曇(第七巻)

結才を市場へもって行く。金三銭五厘にて五十斤。
箒十ぱは三十二銭だった。午前中にかへる。午後はすずめおどし。

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2006年11月18日

1935年9月1日〜7日 父十六才の時の日記

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●昭和十年九月一日 日曜日 曇糸雨(第七巻)

胡瓜を採取して明日市場行の準備。終日甘藷の草取り。
人参、大豆畑も除草。


●昭和十年九月二日 月曜日 曇後晴(第七巻)

胡瓜、白菜、豆を市場にもって行く。午前十時半にかへる。
午後は二日ヤートにて遊び。


●昭和十年九月三日 火曜日 曇後雨(第七巻)

辻田白菜の播種をなす。午後にかけ宮重大根の播種をなした。


●昭和十年九月四日 水曜日 雨天(第七巻)

午前は遊廻る。午後は玉葱のそうざけ。


●昭和十年九月五日 木曜日 曇後雨(第七巻)

今日は在郷軍人の簡閲点呼の見学にて午後は青訓。8


●昭和十年九月六日 金曜日 晴(第七巻)

胡瓜を取って荷造りをなし菊の手入れ。午後は水田を除草を
父と二人でなす。


●昭和十年九月七日 土曜日 晴曇小風強(第七巻)

市場へ胡瓜其他をもって行く。午後は水田の除草。

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posted by gaku at 12:22| 長崎 | Comment(0) | TrackBack(0) | 父の日記1935.09-12 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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