今日から父とともに生きる。

父の死後から45年、父との生活を11年間の短い間しか送ることのできなかった私は
残された父の日記を読み返しながら、
直接聞くことのなかった父の生き様や考え方を知り、
残された私の人生が少しでも豊かなものになるよう、父と共に生きようと思う。
(2006.2.14.by son)



2006年07月30日

1933年12月24日〜31日 父十四才の時の日記

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●昭和八年十二月二十四日 日曜日 晴曇(第五巻)

午前は縄なひ、間〆に用ふるのを。
午近く辻迄竹を切りに行き午後は竹細工(ゐないかご)、
兄は高川方の建家加勢。母が崎岡より午後三時頃かへられた。


●昭和八年十二月二十五日 月曜日 晴天 大正天皇祭(第五巻)

今日は餅付。午後三時前済み。
僕は終日竹細工。兄は午後蓮を掘られた。


●昭和八年十二月二十六日 火曜日 晴天(第五巻)

親子三人連れ有田へ商に行く。〆縄なんかを賣りに、
僕は〆縄の賣上高一円九銭を得た。
午後三時にかへり其後竹細工。父は柚木へ、夕方廣田の伯母がこらる。


●昭和八年十二月二十七日 水曜日 晴天(第五巻)

午前中は〆縄作り、午後も同じ。
晩は明日の商仕度で大争動。


●昭和八年十二月二十八日 木曜日 雨曇(第五巻)

自動車をあてにして商を試たところ商は中止された。
終日竹細工。やっとゐないかご一かを作りおわる。
姉は病(たしかふぅーばれ)の為床中にある。


●昭和八年十二月二十九日 金曜日 晴天(第五巻)

午後五時より自動車より出発。正月商に行く。井田さんと同乗す。
夜明前に佐世保について〆縄賣を試みるに賣上高一円四十九銭を得た。
兄は朝崎戸行の〆縄を卸、ごんぼ〆を五十程やられたので
直ちに自宅へかへられ〆縄をもってこられた。
夕方僕は兄と自轉車よりかへる(僕は後にのって)


●昭和八年十二月三十日 土曜日 雨天(第五巻)

兄と朝六時半に夜の明けてから自轉車より我家を出た。
午前八時佐世保へ到着。終日の商と一円三十六銭を賣った。
兄は午後三時に、僕は五時にかへった。


●昭和八年十二月三十一日 日曜日 晴曇(第五巻)

今日も正月商で朝早く自轉車より佐世保へとむかふ。
賣行はかなり良好だった。晩に及んで商をこころみた。
翌朝二時迄商ふた。今日三円程商ふた。

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2006年07月29日

1933年12月21日〜23日 父十四才の時の日記

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●昭和八年十二月二十一日 木曜日 晴曇一時霰 防火デー(第五巻)

午前中は兄と米を塩屋へ賣りにもっていく。
午後は甘藍植へ。
中食後はつるしばをたくさん取ってこられた。


●昭和八年十二月二十二日 金曜日 雨曇天(第五巻)
 防火デー 折尾瀬村實業公民學校 農産品評會

朝兄は學校まで品評會の出品物をもって行かる。
僕等は出校日なるが為登校をなす。正午頃にかへる。
母は夕方崎岡に行かる。
父は終日くりやばし作り。午後は兄と〆縄作り。
晩兄は御馳走に坂本からよばれて行かれた。


●昭和八年十二月二十三日 土曜日 雨曇天(第五巻)

終日〆縄を作る。午後兄は品評会の授興式に行かれ目度、結球白菜二等賞
(手のこぎり一本)人参三等賞(洗面器一個)を得た。
夕方高川方の建家祝の餅拾ひに行く。父は晩客によばらる。

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2006年07月28日

1933年12月18日〜20日 父十四才の時の日記

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●昭和八年十二月十八日 月曜日 晴曇時々雨 願成就(第五巻)

午前中は玉葱植へ。今日に至りて全部済んだ。其後午前中は甘藍の定植。
午後は姉と甘藍を植へ三時頃終へ其後願成就で遊び、兄は午後蓮を掘らる。


●昭和八年十二月十九日 火曜日 曇雨(第五巻)

終日〆縄作り。晩〆縄の毛むしり。母は江永へ商に行かれ高瀬さん方へ
祝いは野菜の注文をもって行かる。


●昭和八年十二月二十日 水曜日 晴曇時々霰 願成就(第五巻)

午前中は兄と〆縄作り。姉は有田へ蓮、菊を賣りに、
母は木原へ商に行かる。
午後は三人で一ノ瀬宅の裏畑を耕した。(甘藍をうへる)
父は桑木をくくられた。

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2006年07月27日

1933年12月15日〜17日 父十四才の時の日記

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●昭和八年十二月十五日 金曜日 晴後曇 黒髪講(第五巻)

終日僕一人で菊畑の根をこがす。姉は学校、兄は籾摺。
父は父に事件に廻らる。(黒髪講にも行かる)
又母は黒髪様へ参拝に行かる。
父は午後事件で佐世保に行かれ晩九時頃かへられた。
母も一所にかへらる。


●昭和八年十二月十六日 土曜日 晴曇一時雨(第五巻)

終日玉葱植へ。午前には温床の整頓をなす。
午後は福本森助さん方裏の畑の整地をなす。
秋胡瓜の支柱をはずしたりビーツを引揚げたりする。


●昭和八年十二月十七日 日曜日 雨(霰雜)後晴曇(第五巻)

今日は少し寒かった。僕の足は此四、五日前から大へん足が
治ったと見えほとんど痛いといふ痛さは覚へぬやうになった。
終日兄と〆縄作り(ゴンボ〆)母は味噌製造、姉は裁縫、
父は午前は薬王寺の寄附金集め、午後は草履を作くらる。
晩は〆縄の毛むしり。

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2006年07月26日

1933年12月12日〜14日 父十四才の時の日記

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●昭和八年十二月十二日 火曜日 晴曇天(第五巻)

終日玉葱植へ。母は停車場方面に商に行かる。
午後は辻に行って植へる。


●昭和八年十二月十三日 水曜日 晴天(第五巻)

午前中は公民學校に行く。父兄達は辻の畑に小麥作り。
午後は學校よりかへりて後、玉葱苗をこかし少し植へる。
兄は籾殻を運ばれくん炭を焼かる。


●昭和八年十二月十四日 木曜日 晴天(第五巻)

午前中は玉葱の植苗をこがし苗床畑を耕す。
父は朝方より何かの事件に、母は商に行かれた。
午後は中食を一時過なしたるがため二時過より玉葱を植へ、
夕方菊畑の跡片附をなして種苗を隅から片附けて植へた。

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2006年07月25日

1933年12月9日〜11日 父十四才の時の日記

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●昭和八年十二月九日 土曜日 曇後晴(第五巻)

終日兄と〆縄作り(ごんぼしめ五十〆足らずを)
母は駅附近に行かれ酒樽を一樽買ふてこらる。姉は學校に、
父は他家に行かれた。晩はごんぼ〆の毛むしり。 


●昭和八年十二月十日 日曜日 晴曇時々雨(第五巻)

終日しめ縄を作る。兄は塩屋精米所より籾殻を運ばれくん炭さる。
午後兄等は畑を片付けられて耕すさる。父は他家行き。


●昭和八年十二月十一日 月曜日 曇天(第五巻)

僕の足は相変らず痛みがとれず人知れぬ苦しみを日々続けている。
あゝ何といふ不幸不運であらうか。仕事をするにも言ふに言はれぬ苦しみだ。
終日玉葱植えへ。母は吉福のおそでさん方に泊られて江永に商に行かれた。

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posted by gaku at 12:27| 長崎 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 父の日記1933.12 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月24日

1933年12月5日〜6日 父十四才の時の日記

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●昭和八年十二月五日 火曜日 晴天(第五巻)
 村社祀年祭 新嘗祭 入退營奉告祭

終日麥作り。兄は下のおばさん方の田をかれ、其後村社へ入退營奉告祭に
行かれ午直後かへらる。姉は十時頃より正午迄花生のけいこ。麥作りはお
こ口を済んでさやん神の田迄済む。下一反はもう明日で済む予算だ。


●昭和八年十二月六日 水曜日 晴天(第五巻)

午前中は補習学校に行き正午頃かへる。農業に甘藍の定植であった。
午後は麥作り。夕方父と豊田甘藍、中野甘藍の両早生種を定植す。
兄は夕方藷畑を耕された。
麥作りは今日に至って略済んだわけである。あと自家の裏田に小麥を作る
だけだ。
晩は兄と薬王寺へ御説教聴きに行く。十一時歸宅。

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posted by gaku at 05:16| 長崎 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 父の日記1933.12 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月23日

1933年12月1日〜4日 父十四才の時の日記

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●昭和八年十二月一日 金曜日 晴天(第五巻)

午前中は養鶏の仕事を済まして書斎に寄り学習などしておる。
午後は足が大分調子よくなたので父達と麥作りに出、塊しやぎをなす。

姉は午前中は補修学校に行かれ午後一時頃かへらる。兄は田耕し。


●昭和八年十二月二日 土曜日 晴曇(第五巻)

朝方洗濯をなし養鶏の仕事を済まして終日麥作り。
一家総出の眺めこそ健やかである。


●昭和八年十二月三日 日曜日 晴天(第五巻)

今日はなんかに至って足痛は殊にへり、立歩きはもう大分自由になる。
終日麥作り。宇助ぢいさん宅の前田とつかの狭をつくり作りかけ済み得
なかった。母は午直後日出し迄瓦炭を取りに行かる。


●昭和八年十二月四日 月曜日 晴天(第五巻)

もう大分足も全快向になったのであらう。別に何等不自由もない。
(平野商店より商報目録来る)
終日麥作り。今日はつかの狭を済ませて後一作田を作りおこ口を作りかけ
た。母は朝方商に行かれ午後は薬王寺へ説教とかがあるといって、父と兄
は朝方一車日出しり炭を引いてこられ、ふるはれて肥料にさる。
午頃よりこみいられ、廣田のまが造りより五円七拾銭で暮れ方再参した時
に買はれた。

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posted by gaku at 11:49| 長崎 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 父の日記1933.12 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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