今日から父とともに生きる。

父の死後から45年、父との生活を11年間の短い間しか送ることのできなかった私は
残された父の日記を読み返しながら、
直接聞くことのなかった父の生き様や考え方を知り、
残された私の人生が少しでも豊かなものになるよう、父と共に生きようと思う。
(2006.2.14.by son)



2007年08月16日

1937年3月20日〜22日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年三月二十日 土曜日 曇時々小雨(第七巻)

我が青年学校も小学校兼にて卒業式が挙行されたので出席する。午後はズボンにアイロンをかけ、免寄りに行く。夕方、トマトの移植、胡瓜の第一回移植をなし、晩は餅付き。明日の篤し農家視察の準備をなす。


●昭和十二年三月二十一日 日曜日 晴(第七巻)

今日の福岡、唐津方面農事視察も天気に恵まれ午前六時八分三河内発にて向ふ。岸金四郎宅を訪問して帰途、唐沢のの養鶏、促成栽培も一覧し唐津見物をなして、帰途に付いた時は晩に及び帰宅した時はもう十時だった。

所感
実地視察こそ我等農村青年たるものの
愛すべき条件である。

百聞も一見にしかず、志ある者のあらゆる農事の進歩発展も蟄居的生活よりは生れない。そこに現代的の実地視察研究と合理的学理の応用に待たねばならない。


●昭和十二年三月二十二日 月曜日 晴(第七巻)

昨夜より自転車紛失事件にて午前中は捜索に努めた所、お午頃出て来た。無断乗逃して山近呉服店へ置いてある。やっと安心した。
午後は高川、長谷川安さんが遊びに来られたので、語りにてかれこれ四時頃迄かかり、温床内の除草。商の仕度。






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posted by gaku at 08:57| 長崎 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 父の日記1937.01-04 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
19日の道路愛護デーって何でしょうね。
何で修繕に行かなくてはならんのでしょうか?
道路事情も、かなり違う筈だし、色々想像しますね。
Posted by ボズ   at 2007年08月17日 07:07
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