今日から父とともに生きる。

父の死後から45年、父との生活を11年間の短い間しか送ることのできなかった私は
残された父の日記を読み返しながら、
直接聞くことのなかった父の生き様や考え方を知り、
残された私の人生が少しでも豊かなものになるよう、父と共に生きようと思う。
(2006.2.14.by son)



2007年08月11日

1937年3月8日〜10日 父満十八才の時の日記

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●昭和十二年三月八日 月曜日 晴曇(第七巻)

市場へ鶏卵、セルリーを持って行き、午前中にかへる。久野継四郎さん拝見に立寄る。
午後は商仕度をなして後義姉の姉さまがお見えになったので写真撮影をなし初午詣参に行く。夕方かへり信永茂好君へ温床を案内し南瓜の第二回移植をなす。晩は現像を行ひ、狂言を見にいって日記を書く。


●昭和十二年三月九日 火曜日 晴曇(第七巻)

市場へビーツ、セルリーを持って行く。午前中にかへり、午後は麦圃のじゃこあげ。夕方籾摺に行き晩に及んだ。現像をなす。


●昭和十二年三月十日 水曜日 曇後晴(第七巻)

陸軍記念日にて、
今日は吾等青年学校男徒は佐世保海軍航空隊、軍艦見学をなした。帰途は雨にて困る。自転車にだったので日宇より傘をかり桑木場の森様方へ立寄る。信用組合の家の光会にも途中立寄列席する。

所感
今日の見学は求むるものが大であった。飛行機の勇壮なる姿こそ、空を護る形そのものである。
非常時、日本の魂は実にこの空軍に
確固たるものでなければならぬ。

猛烈なる日夜の高等飛行の訓練をも目ざす所は防国日本の第一線となるべき為である。





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posted by gaku at 08:55| 長崎 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 父の日記1937.01-04 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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