今日から父とともに生きる。

父の死後から45年、父との生活を11年間の短い間しか送ることのできなかった私は
残された父の日記を読み返しながら、
直接聞くことのなかった父の生き様や考え方を知り、
残された私の人生が少しでも豊かなものになるよう、父と共に生きようと思う。
(2006.2.14.by son)



2006年08月31日

1934年5月7日〜13日 父十五才の時の日記

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●昭和九年五月七日 月曜日 晴曇(第六巻)

午前は菜豆畑の土寄せをなし溜池のたてひをコンクリート製と
取替へた。中食を早く済まし小麥ま積んで有田陶器市へと向ふ。
焼物見物をして夕方かへる。母は澤山焼物を買ってこらる。


●昭和九年五月八日 火曜日 晴曇(第六巻)

午前九時二十九分の汽車より満州衛兵隊を見送り。
終日トマトの手入れ(施肥、土寄、支柱たて)


●昭和九年五月九日 水曜日 雨天(第六巻)

午前はトマトの手入れ(支柱をたてた)
午後は雨がばらついたのでしばをよせた。


●昭和九年五月十日 木曜日 雨天(第六巻)

午前八時過登校。午後一時歸宅。
午後は遊び夕方養蚕用の飼育箱をこしらえる。


●昭和九年五月十一日 金曜日 雨後曇(第六巻)

午前は養蚕飼育箱をこしらへ午後は明日長崎自轉車旅行の
用意をなす。晩は頭をつむ。ふろには」ゆっくりいった。


●昭和九年五月十二日 土曜日 晴天(第六巻)

午前五時起床。朝食後六時半過直ちに自轉車より長崎へと出發、
車上にある事六時余間を以て長崎に至り西山町の姉宅に到着す。
(自轉車はパンクしなかった)
午後は写真撮影に趣味をわかす。

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2006年08月30日

1934年5月1日〜6日 父十五才の時の日記

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大五月

●昭和九年五月一日 火曜日 晴天 清潔法(第六巻)

午前中は大掃除にて手忙しく家際も綺麗に掃除する。
午後母と川際のしばを片附けた。
崎岡の房さんが有田の陶器市へ買物にとこられあいにく清潔法
にて差しつかへたので一應出直すといって歸へられた。


●昭和九年五月二日 水曜日 晴天(第六巻)

今日は道路修繕だ。早朝より出て午前にて終る。
午後は蓮を掘る。母は黒髪山巡り。
姉は有田の陶器市に行かれ晩近くにかへらる。


●昭和九年五月三日 木曜日 晴天(第六巻)

午前八時過登校。
學校よりアスパラガス(西洋うど)をもらってくる。
午後は蓮を掘る。母もほられた。
姉は中村方の工事の仕事に行かる。父は苗床をかかれた。


●昭和九年五月四日 金曜日 晴天(第六巻)

午後は籾摺りに肥料よせ(信用組合より)
午後は温床内に里芋を埋め甘藍畑の施肥土寄せ。
夕方籾殻をよせ燻炭製造(長崎の姉より手紙くる)


●昭和九年五月五日 土曜日 晴天(第六巻)

午前は苗代の準備をなし午後は菜豆畑の中耕、
父は苗代に籾を播かれた。


●昭和九年五月六日 日曜日 晴曇(第六巻)

播種を終った苗代に燻炭をふり蓮田を耕す。
午後は中食後直ちに籾殻をよせ甘藍畑の施肥中耕をなし
夕方蓮をほる。燻炭をも焼付けた。

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2006年08月29日

1934年4月27日〜30日 父十五才の時の日記

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●昭和九年四月二十七日 金曜日 雨天(第六巻)

今日はニハカの前げいこや準備で忙しい。下駄のをもたてる。
姉が長崎よりかへらる。


●昭和九年四月二十八日 土曜日 晴曇(第六巻)

何とめぐまれし天氣であらう。
雨はからりと晴れて祝ふべき我がお寺の新築落成式入佛式の
にはかにもってこいの日だ。
我が口ノ尾解も一流のにはかをつくって薬王寺へと向った。
僕も行く。午後四時頃賑ひ終り、其後終ひ祝で酒宴。


●昭和九年四月二十九日 日曜日 雨後曇(第六巻)

今日こそ一日を擧げて昨日の昨日の後祝で終日にぎあう。
僕は西瓜の防虫網をはる骨を二十余作製する。


●昭和九年四月三十日 月曜日 晴天(第六巻)

午前は茄子畑をこがして母は商に行かれた。
其後屑茄子畑を假植して道路際の畑の垣をなす。
午後は糠かひにいって前田良市君を連れて来、写真術を教はり
(一つ手頭に仕上〈印画紙一枚〉してもらふ)
速座にけいこにのり原板仕上げをなして晩印画した所上手にできた。
(姉と富田辰美君を撮影する)冬蒔甘藍を久米君からもらって来て
定植する。

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2006年08月28日

1934年4月22日〜26日 父十五才の時の日記

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●昭和九年四月二十二日 日曜日 晴曇(第六巻)

午前は籾を乾してから辻の玉葱の除草。
午後トマトを定植し終へ玉葱の中耕をなす。
夕方四時過より籾を片附けて雨前の仕事をなす。
父は玉葱にアンモニアヲ与へらる。僕はセルリーを床に播き
茄子の補植をなす。晩は踊り見にいった。


●昭和九年四月二十三日 月曜日 雨曇(第六巻)

朝食前茄子及トマトの苗をこがして来て賣りにいく準備をして
母が木原方面に持っていく。賣行良好で十本が(十銭乃至十五銭)
だったそう。終日藁細工(細縄なひ)
姉が午前十時四十七分の汽車にて長崎へいく。


●昭和九年四月二十四日 火曜日 曇後晴(第六巻)

午前は朝食後苗賣の仕度にて十時過までかかる。
其後午後三時半頃迄細縄なひ。自轉車の手入をなしてふろをわかした。
暮近くに苗をこがす。
今日は苗の賣も上等で二円八十一銭がと賣ってこらる。
父は終日春田耕さる。晩ハ又踊のけいこ見にいく。


●昭和九年四月二十五日 水曜日 雨曇(第六巻)

午前は苗床田を耕し、午後はセルリーの定植、
西瓜、甜瓜、胡瓜を播種する。
父は薬王寺入佛式法要の評議に行かる。
晩は踊りのけいこ見に行く。


●昭和九年四月二十六日 木曜日 晴後曇(第六巻)

午前八時過登校(筍堀り)午後二時半歸宅。
其後又セルリーの定植。父は薬王寺の舞台かけに行かる。
夕方柚木の伯父さんがおいでになった。確しか債務関係だと。

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2006年08月27日

1934年4月17日〜21日 父十五才の時の日記

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●昭和九年四月十七日 火曜日 晴天(第六巻)

今日は招魂祭だったが行かなかった。姉は行く。
終日桑畑の土寄せ。今日にて全く終った。


●昭和九年四月十八日 水曜日 晴天(第六巻)

午前は里芋を作り(玉葱畑の間作として)玉葱の中耕をなす。
午後は牛蒡を播いて三時頃より玉葱の中耕。
父は夕方五時村寄りに山ノ田の橋に行かれる。
姉は夫人總會に行かれた。


●昭和九年四月十九日 木曜日 晴天(第六巻)

午前八時過登校、學校では間先生が職員協議會に出頭されていられ
留守なので三校時で済み。教室の掃除をなす。
午後十二時半歸宅。午後は種籾を池につけて父と二人辻へ行き
トマトを定植する畑を耕いた。


●昭和九年四月二十日 金曜日 雨後曇(第六巻)

終日自轉車の分解掃除に其の日をついやす。
夕方父とトマトの定植。
父は三川内へお金の催促に行かる。


●昭和九年四月二十一日 土曜日 晴天(第六巻)

朝方籾摺に塩屋まで行き其後福本森助方裏の玉葱中耕。
午後は温床際の玉葱畑の中耕をなし四時半頃より今日又籾が
乾いたので塩屋に行って摺って来る。
暮近くに又辻へトマトの定植にいく。姉は西連寺の賑ひに行かる。

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2006年08月26日

1934年4月12日〜16日 父十五才の時の日記

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●昭和九年四月十二日 木曜日 雨(第六巻)

登校午前八時過授業了りて横浜植木株式會社へ種子を注文するため
振替をして午後二時半過歸宅。其後他家に遊び廻り晩九時就床。


●昭和九年四月十三日 金曜日 雨後晴(第六巻)

終日藁細工(細縄をなふ)高川君及び富田君と僕と三人
午後は僕一人になる。午後は雨よりからりと晴れた。
父は庭木さんが購入された田地の登記に行ってやらる。


●昭和九年四月十四日 土曜日 晴天(第六巻)

午前は父とらっきょ畑の除草をなし、午後は中村方の馬糞堆肥を
桑園に運び胡瓜、西瓜、瓜のくらにも施す。午頃しはを一車す。
夕方深葱を掘って来てから温床の茄子の定植を行ふた。
姉午後崎岡よりかへらる。晩は青年會の結果、花見宴會は明日と
決定された。


●昭和九年四月十五日 日曜日 晴曇(第六巻)

今日こそ我々青年にとって楽しき且祝ふべき花見宴會だ。
午前より料理の手は切れず午後に至りてはより以上の複雑の
料理となりて夕方より盛んに飲み續たり。
會所たる小野進宅はくずれんばかりに賑いていよいよ午後八時半
宴會の幕を閉ぢて一同の者開散したり。
出しめ四十五銭、米五合、野菜


●昭和九年四月十六日 月曜日 晴天(第六巻)

午前中はかまぶたの桑畑まで堆肥を運ぶ。
午後に及んで土寄せをなす。晩は直ちに就床。

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2006年08月25日

1934年4月6日〜11日 父十五才の時の日記

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●昭和九年四月六日 金曜日 晴天(第六巻)

今日が福本方の葬式で僕も坂本淀さんと下波佐見の親類家まで
使ひに行く。父母等は終日葬事に當る。
僕は波佐見よりかへって来てから終日にわたり玉葱畑の除草。


●昭和九年四月七日 土曜日 晴天(第六巻)

終日玉葱の除草。母は佐世保巡りに詣でらる。


●昭和九年四月八日 日曜日 晴天(第六巻)

午前は辻に行って玉葱の除草中耕。父は畑際な松を倒ふさる。
午後は玉葱の除草中耕及甘藍の中耕をなす。
本田より種子来る。兄より便が来る。


●昭和九年四月九日 月曜日 晴曇(第六巻)

午前は玉葱の中耕。
午後は辻へ牛蒡播きに行き麥畑の土寄せを済ます。
在営の兄に手紙を出す。
姉は夕方崎岡へ着物縫ひに行かる。
晩柚木の明治さんが来らる。


●昭和九年四月十日 火曜日 曇一時雨(第六巻)

終日甘藍畑の中耕、除草をなす。
父は山ノ田の里道修繕事業へ母は江永へ商に行かれ
午後は蓮をほらる。


●昭和九年四月十一日 水曜日 曇一時晴(第六巻)

朝食後薪をわり其後終日にわたり家裏の畑を父と耕す。
夕方母とそこへ金時豆、秋蒔菜豆(種子採取)、馬鈴薯を下種す。
晩は明日のけんずい準備に取かゝらる。

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2006年08月24日

1934年4月1日〜5日 父十五才の時の日記

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小四月

●昭和九年四月一日 日曜日 晴曇(第六巻)

姉は有田へ商に母も附近へ行かる。
午前は温床内のトマト、茄子にアンモニアを与へ
高菜畑の中へ金時豆を作る。
姉よりきゃはんを賣ふて戴く。
午後は姉と二人で蓮を二か程掘る。
風呂をわかした。


●昭和九年四月二日 月曜日 晴天(第六巻)

午前は高菜畑に金時豆を作。
其後終日にわたり辻の畑を深耕して牛蒡を播く。
母達は餅をつかれた。姉は有田へ商に行かる。


●昭和九年四月三日 火曜日 曇雨(第六巻)

今日は楽しき節句だ。何處になく喜ばしき笑が浮んでゐる。
午前は菊の仕柱をこしらえて午後は遊んだ。
そして夕方播きものをした畑に籾殻をふってやる。


●昭和九年四月四日 水曜日 曇天(第六巻)

終日玉葱の除草。母は昨より崎岡泊りて今日晩方かへられた。
(本田へ支那胡瓜の注文)


●昭和九年四月五日 木曜日 雨天(第六巻)

午前中は細工道具の整頓をなす。午後はここかしこの家に遊ぶ。
父は雨で終日床中にあられ体を休めらる。
三・四日前より中風で激しく衰弱しておられて福本方の父が
遂に死亡されたとの事である。

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2006年08月23日

1934年3月28日〜31日 父十五才の時の日記

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●昭和九年三月二十八日 水曜日 雨曇(第六巻)

午前中は少しさすりを寄せて後、縁の下を整頓し午後は書齋にて
婦人家庭教訓いろは歌を書いて本にする。
晩は早く寝た。父は薬王寺の仕事に行かれた。


●昭和九年三月二十九日 木曜日 曇晴一時雨(第六巻)

終日溝際の小山にて仕事をなし、しばをよせたり、
さすりをよせたりす。父は全部木を倒された。
ついでに菊の仕柱に用ふる竹をも切る。


●昭和九年三月三十日 金曜日 晴天(第六巻)

午前中は金時菜豆を下種し午後は辻へ行って深葱畑を耕し
馬鈴薯少しばかり作った。
そして市場出しの深葱を用意する。


●昭和九年三月三十一日 土曜日 曇(第六巻)

市場へと深葱五十斤程を積んで午前五時四十分に我家を出發す。
賣行は不振で斤一銭がへであった。
すっかり元氣を失って歸途についた。
正午歸宅、午後は畑を耕す。母と姉は蓮を掘られた。
父は薬王寺の總会に行かれ晩かへらる。
午前父達は中村方の堆肥を出され桑畑なんかにやらる。

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2006年08月22日

1934年3月23日〜27日 父十五才の時の日記

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●昭和九年三月二十三日 金曜日 曇天(第六巻)

いざ今日が昨日の發表喜と望を懐いて試験場へと向ふ。
折よく合格者の一員として今日又試験を受ける事ができた。
やがて試験は終り三男さんと三人連れなってかへった。
午後十二時半に到着し其後体を休め自轉車を掃除し晩は直ちに就床。
試験話しが盛んだった。


●昭和九年三月二十四日 土曜日 雨天(第六巻)

今日は昨日の成績(全学術試験)の發表である。
試験場の表札を撿し見るに僕と猛君は不合格であった。
雨中を自転車より走り午後三時頃にかへり直ちにこの事を三男さんに
しらせる。余り顔の皮厚くは言はれぬ。楠本廣君は名譽ある合格を得
三男さんも踊躍さる。
僕は夕方自宅へと急いで午後六時歸宅した。この事情を父に報告した。
やはり努力がたりないものとあきらめるより外ない。
晩はハガキを畫く。


●昭和九年三月二十五日 日曜日 晴曇(第六巻)

午前中は佐世保がよいの為よごれた自轉車の掃除をなし
山ノ田よりしばを一車引いた。晩は早く寝た。


●昭和九年三月二十六日 月曜日 晴曇一時雨(第六巻)

午前中は山ノ田よりしば寄せ。午後は礫を少し川から採って来る。
タテヒコンクリートの鑄型を組立て父は深葱を掘ってこられて
僕の市場行の用意をならる。晩はその荷造りをなす。 


●昭和九年三月二十七日 火曜日 曇雨(第六巻)

佐世保青果卸市場へと深葱、パセリーをもって向ふた。
その結果値段はメチャメチャ安かった。
深葱二十七斤とパセリーで程しれた事、たった三十五銭で
手取金三十一銭ではないか。
歸途に廣田に彼の身体検査の結果を聞かんが為立寄り中食を
御馳走になる。午後一時過にかへる。
父はタテヒコンクーの鑄込をなさっておられた。
僕も加勢したりしたので仕事は一応済まれた。

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2006年08月21日

1934年3月19日〜22日 父十五才の時の日記

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●昭和九年三月十九日 月曜日 晴天(第六巻)

今日は小學校の卒業式である。我が輩も参列して午後一時前にかへり
午後は溜池工事に出る。
僕と富田辰美君とは曲川迄不足のたてひをひきに行き、四時頃かへる。
事業は今日にて落成す。午後五時半に仕事を済す。
晩は学習をなす。ふろを一ノ瀬方に入りにいく。
(前田君より一円をとる)


●昭和九年三月二十日 火曜日 晴曇(第六巻)

父は丸田方の葬式に、母も行かる。
手前は学習をなして衣服の洗濯をなし、午後はポンプを修繕しタテヒの
コンクリー鑄型を作る。夕方ふろをわかし晩は学習をなす。


●昭和九年三月二十一日 水曜日 雨後曇一時晴(第六巻)

終日学習をなす。いよいよ明日となった。
今までの努力を發揮すべき日は近った。勇敢に難に趣け。
夕方五時過頃より廣田へ行き暮眞際に着いた。
晩は猛君と少し學習をなして早く寝た。稲荷様を詣ってお湯にも入った。


●昭和九年三月二十二日 木曜日 曇後雨(第六巻)

佐世保工廠見習工採用試験受験の為、午前六時出發自轉車より
指定の試験場へと向った。正午に至って試験は終り午後二時半歸へる。
歸途は雨の為苦心した。
午後うちの母、猛君の父、お稲荷様の玉しゃんがこられて色々語らる。


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2006年08月20日

1934年3月15日〜18日 父十五才の時の日記

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●昭和九年三月十五日 木曜日 晴曇一時霰(第六巻)

終日山の木倒し。今日より新つゝみの修理工事が始まったので
父は働きい行かれた。母は午後山へこられた。
夕方六時頃から廣田」へと向ひ晩は同士受験者四名揃って
學習をなし十時就床。


昭和九年三月十六日 金曜日 晴曇一時霰(第六巻)

風強くつどに寒い霰もふる。午後五時迄廣田にありて終日學習を
なし午後五時半歸宅。
温床の仕事をなしたり」したら日が暮れた。(風の為温床の障子は
はねまくり紙はやぶっていた)晩は學習をなす。
父達は全部つゝみ工事に出ておられた。


昭和九年三月十七日 土曜日 晴天(第六巻)

終日山ノ田溜池修理工事の仕事に働く。中食に御馳走があった。
午後は一時間の時間増があり又御馳走をうける。
晩は学習をなす。


昭和九年三月十八日 日曜日 晴曇天(第六巻)

午前中学習をなし十時頃より温床の仕事をなす。
午後も学習をなして四時より薪をわり晩は学習をなす。
姉はお才観音の参詣に行かれ午後五時過にかへらる。
父は社日講に行かれ母は終日しばまるかし。

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2006年08月19日

1934年3月11日〜14日 父十五才の時の日記

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●昭和九年三月十一日 日曜日 曇天(第六巻)

午前より午後に及んで茄子の假植をなし、
午後三時過より母は蓮を少し掘る。
母は午前と午後と二度蓮をうりに行かれた。
父は玉葱に追肥をさる。
正午前に學校に青年團長及副團長の選擧に行く。
姉は午後春季青年團總會に行かる。
夕方六時頃より廣田に行く。途中汽車より(桑木場の踏切)
小學兒童(桑木場の高等一年池田鶴一)がしかれてむざんな
最後をとげていた。それを見たりしたので廣田へ暮眞際に着く。
晩は受験準備のため學習をなす。


●昭和九年三月十二日 月曜日 雨天(第六巻)

終日雨、初馬の余興もだめだ。しかし明日に延日されるそう。
午後三時半頃迄勉強して四時前に廣田を出で立ち四時半前歸宅。
稲荷様に参詣に行って晩は學習をなす。


●昭和九年三月十三日 火曜日 曇雨一時晴(第六巻)

終日學習をなす。志願者心得来る。造兵部の一九八二番であった。
(横浜植本へ種子注文)
父は終日藁細工。姉は生花のけいこがあった。
夕方茄の假植、晩はけふげん見に行った。


●昭和九年三月十四日 水曜日 晴曇(第六巻)

午前八時半前登校、実習に牛蒡畑の深耕作土と赤土の入替へをさる。
午後三時歸宅。其後桑を剪定及梨の剪定。
夕方温床内へ硫黄をふった。
姉はまんぢゅう作りの講習會に行かれ、父は終日砧木に熱中さ

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2006年08月18日

1934年3月7日〜10日 父十五才の時の日記

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●昭和九年三月七日 水曜日 晴曇一時雨(第六巻)

午前に役場より戸籍抄本を取って廣田に行く。そして志願書を
三男さんから書いてもらってだしておく。
そして晩は猛君等と試験準備のため学習をなし十一時頃就床。


●昭和九年三月八日 木曜日 晴天(第六巻)

朝食後直ちに廣田を出発し午前九時頃歸宅。
其後温床の障子に油をぬり午後は假植床に覆土なしトマトの
第一回假植をなす。
夕方彼岸のかはりといはれて餅を付かる。
暮れ際かじや迄車力を取りに行く。(父が修繕にやっておられたので)


●昭和九年三月九日 金曜日 晴天(第六巻)

午前中は茄子の第一回植をなし午後は麥圃のじゃこ揚げ
今日をもって全く済んだ。兄にもハガキを出しておく。
そして夕方麥畑の中耕をして畑の余地を耕す。晩は学習をなす。
ふろに入ったので気分がよい。
母は吉福の稲荷様へ晩行かれ父は同じて晩地面の賣買成立のため
おつね伯母さん方に行かる。
(庭木さんが山浦の浦義雄氏の田地を購入され)
晩は中村さんもこらる。


●昭和九年三月十日 土曜日 晴天(第六巻)

午前中は茄子の假植をなし午後は初馬商母が行かれるので蓮を
母と二人で五十斤ばかり掘出す。
父は終日追肥をなさる。姉は感冒の為床中にあらる。
晩青年支部會があった。

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2006年08月17日

1934年3月3日〜6日 父十五才の時の日記

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●昭和九年三月三日 土曜日 晴曇一時雪(第六巻)

雪日和にて終日寒い。
午前は麥圃へ堆肥を施し、午後は假植温床の踏込みをなす。
父姉は麥圃のじゃこあげをさる。


●昭和九年三月四日 日曜日 晴曇一時雪(第六巻)

午後三時四時切大へんな雪が降る。
終日麥圃のじゃこあげをなして寒中物ともせず仕事したら
かへって暖かくなった。三反半ばかりを一日に済ます。


●昭和九年三月五日 月曜日 雪天(第六巻)

朝大雪終日に降續く。今冬初の雪日和だ。
午前は學習を炬燵の際にてなし、午後は温床の障子の枠を作る。
三つ造る事ができた。晩は更に学習をなす。
父は三川内に行かれ、母は午後五時六分の汽車より廣田へ嫁事に
行かれ晩もかへられない。


●昭和九年三月六日 火曜日 晴曇朝雪(第六巻)

朝は大へんな積雪だったが徐々に消けて午后に至りては
其面影すら残さない。
終日假植温床の障子の枠を作り紙をはる。
今日は目出度「母の日」地久節であり賢くも我皇后陛下の
御誕生遊ばされたお祝日である。我が國が永遠に栄へ行くも
両陛下の御偉い御訓徳に外ならぬのである。
母は夕方歸らる。廣田より見習職工の志願書の願出期は三月十日だと
聞いてこられ僕も急がねばならぬと思った。

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2006年08月16日

1934年3月1日〜2日 父十五才の時の日記

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大三月

●昭和九年三月一日 木曜日 曇一時晴(第六巻)

午前六時我が家を出發し佐世保へと向ひ市場に到着する事八時前。
價は余りよくない。深葱十五斤の三十七銭、セリ外三品計三十銭で
手取金六十銭の収入に買物、金時豆一升二十四銭、エコの油、粉末
硫黄十三銭、温床障子紙二十枚(三尺に二尺)三十七銭、切手一枚
總計支出七十七銭。午前十一時半歸宅。
其後僕は蓮を堀り商の用意。セリをも取る。
母と二人で商仕度を済まして晩は荷造をなす。


●昭和九年三月二日 金曜日 晴天(第六巻)

終日麥圃へ堆肥を施す。お午してから早岐へ糠買に行ったが1つも
なかった。横山精米所よりたった一升かって来る。午後三時にかへる。
晩は学習をなす。


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2006年08月15日

1934年2月27日〜28日 父十五才の時の日記

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●昭和九年二月二十七日 火曜日 晴天(第六巻)

午前は母と山へ藪拂ひに行きこっぱを大分かすって来る。
午後は自轉車を掃除して三時過より燻炭を玉葱畑へふり
辻の玉葱畑の中耕をなし深葱を掘って来る。
午後は今福の傳さんがこられて桶の修繕をさる。
父は終日麥畑の追肥(アンモニア溶液)
晩は今福の尾崎さん家の結婚式だったので嫁さん見物に行き
十時前にかへり其後学習をなし十一時就床。


●昭和九年二月二十八日 水曜日 晴天(第六巻)

午前九時登校(朝中雛が一羽死んでいたので料る)
学校では柑橘園の除草に温床の仕事(假植)があり午後二時半歸宅。
其後僕は蓮を掘り商の用意。セリをも取る。
母と二人で商仕度を済まして晩は荷造をなす。

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2006年08月14日

1934年2月23日〜26日 父十五才の時の日記

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●昭和九年二月二十三日 金曜日 晴天(第六巻)

午前中は麥圃の中耕。午後は麥圃の岸際に甘藍を植付。
夕方父と塩屋より籾殻を二車よせて燻炭を焼く。
晩は学習をなす。(前田君より中雛代一円を収む)


●昭和九年二月二十四日 土曜日 晴曇(第六巻)

午前は中村水車より厩肥をやった所に甘藍を植付け、
其後裏の野菜畑に下肥の追肥をなし新開の麥圃及び玉葱畑に燻炭をふる。
母は黒木原の地蔵様参詣に行かれ午後一時にかへられた。


●昭和九年二月二十五日 日曜日 曇一時晴(第六巻)

午前は玉葱畑へ燻炭をふり甘藍畑を中耕す。
父はにんにくへ追肥をさる。横浜植木より型録来る。
午後は福本森助方裏の畑の甘藍、玉葱へ肥を施し中耕をなし
其後又甘藍の中耕、にんにくの中耕。追肥に灰をやる。
支部長が青年團報を賣りにこらる。一冊十五銭とっておく。


●昭和九年二月二十六日 月曜日 晴一時曇(第六巻)

終日玉葱の二番中耕をなし、夕方籾殻を引いて燻炭をやく。
長崎より「家の光」来る。

※家の光:創刊80周年を迎える農業、園芸、生活など中心とした家庭雑誌。

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2006年08月13日

1934年2月19日〜22日 父十五才の時の日記

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●昭和九年二月十九日 月曜日 晴天(第六巻)

午前は麥穂の中耕をなし、午後は育雛籠の修繕をなし、
其後母と大晩生長崎白菜畑の中耕除草をなし、草花の移植をなす。
父は甘藍畑の中耕をされ竹を切りに行かれた。
夕方燻炭を(籾がら)たつけらる。


●昭和九年二月二十日 火曜日 晴天(第六巻)

終日麥圃の二番中耕をなし、
夕方父と假植床フレームの地こしらへをなす。
十二日播きの巾着茄子が発芽する。
燻炭が焼けたので温床の用土上に之をばらまいた。
十日蒔きの茄子(十八日発芽)胡瓜、トマト(十四日発芽)は
うるはしく栄えている。


●昭和九年二月二十一日 水曜日 晴天(第六巻)

午前八時半登校。農業の實習に甘藍の中耕がある。
間先生が朝方僕の温をみにこられ被ひ莚を開けて下されたとの事であった。
(秋蒔菜豆の種子を渡される)午後二時半歸。
午後は其後苺ふし付畑の中耕除草をなす。
今日は今福の傳さんがこられて終日桶修理の仕事に働かれて
晩遅くかへられた。


●昭和九年二月二十二日 木曜日 晴天(第六巻)

終日麥圃の中耕をなし燻炭とアンモニアを施肥する。
僕は午後は早生甘藍田に堆肥を運び施肥した。
晩は早く就床。

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2006年08月12日

1934年2月16日〜18日 父十五才の時の日記

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●昭和九年二月十六日 金曜日 晴夕方雨(第六巻)

朝大へんな霜なので昨日兄と同斑内(二年兵で上等兵)の中村菊蔵より
来たる手紙の返事をかく。
午前は十時頃より大晩生長崎白菜畑の中耕をなす。(未だ済まぬ)
午後は実行組合の指導地たる麥圃の仕事に出る。中耕、じゃこ揚げ、除草
追肥が一へんに行はれ三時頃済む。其後一人麥圃の中耕をなす。
夕方母が肥をもってこられ(鶏ふん)僕のなかした圃に施さる。
父は終日麥圃に追肥をなさる。アンモニアを水溶液にして。
姉は終日中村方の職工人さんよりたのまれた着物を縫はる。


●昭和九年二月十七日 土曜日 晴曇(第六巻)

朝方梨の剪定をなし終日母と二人辻の麥圃の中耕をなす。
鶏糞肥料の追肥をなす。今日は卵を三個産んだ。
父は終日麥にアンモニア水溶液の追肥をなさる。(茄子発芽する)


●昭和九年二月十八日 日曜日 雨後晴(第六巻)

今日は我が産業組合倉庫の落成式で餅まきなんかもあったそうである。
我農村の産業振興の為に莫大の利をこの倉庫によりて見るであらう。
午前は雨の為書齋を整頓して長崎の姉に送る眞綿を準備して小包を出し
に郵便局迄行き今福の傳四郎さん方の温床を視察しに行って見た。
いろいろとはなして午後十二時半にかへる。午後は春大根畑の除草中耕
をなす。

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posted by gaku at 10:19| 長崎 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 父の日記1934.02-03 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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