今日から父とともに生きる。

父の死後から45年、父との生活を11年間の短い間しか送ることのできなかった私は
残された父の日記を読み返しながら、
直接聞くことのなかった父の生き様や考え方を知り、
残された私の人生が少しでも豊かなものになるよう、父と共に生きようと思う。
(2006.2.14.by son)



2006年06月30日

1933年10月9日〜10月11日 父十四才の時の日記

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●昭和八年十月九日 月曜日 晴天(第五巻)

朝六時半起床。午前中は家にて遊び、午後は姉と大妨弓妨と町に散歩
(諏訪神社ニ行キ商工奨励館上参観ニイク)
晩は早寝。

所感
親、単に吾々は親といへば吾等を愛護して下さるのを自然的のやうに
又あたりまえと信じていた。
今、他郷の地にあり離別的に生活している時、何となく親の懐かしさ
が感ぜられた。あの慈愛深き親のもてなし、今にして考へて見て肉を
針でさすやうな思いがする。
僕は親の實情が今わかった。決して単に子供の愛護のみではない
そこに千両の金でも離すことのできない慈愛の糸にてかたく結ばれ
親子の間には懐かしい所、温かい血が流れている。慈愛深き親の恩は
山よりも高く海よりも深い。勤めて万分一なりとも親恩に報いる覚悟
がなくては子としてあまりにもあさましいと僕は思う。

●昭和八年十月十日 火曜日 晴天(第五巻)

朝食後一同一所に諏訪神社の御上り参詣に行く。
踊りを見て正午頃歸宅。中食前氷をすってたべた。近頃氷はふさわぬ。
兄さんは三時頃歸へられた。
其後、遊戯に更けて晩は七時半就床。
(折尾瀬の兄から兵種の通報来る。飛行兵と)

●昭和八年十月十一日 水曜日 晴天(第五巻)

朝六時起床、午前中は遊戯に興を湧かし諏訪公園にも弓チャンといった。
午直前生花のけいこがある。
午後は大チャンを案内者として片側まで遊びに廻る。夕方四時頃かへる。
其後入浴直ちに就床。

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2006年06月29日

1933年10月8日 父十四才の時の日記

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●昭和八年十月八日 日曜日 雨天(第五巻)

午前中は朝方長崎の供日に行く準備をなし(姉も加勢す)
午前十時四十七分の列車にて長崎へと向ふ。廣田の伯母さんと
一所に乗車し伯母さんは早岐にて下車された。
山海の風景、色どりて美く車窓に映じ遂に僅かニ時間半を以て
八十粁余なる長距離を走り来たる。
午後一時五分長崎駅着。
プラットホームを過ぎるや迎へを見附けていると義兄さんの
御案内によって漸く當宅に導れてたどりつく。
其後風呂をわかして入浴し、夕方後直ちに全部残らず町の
踊見に出かけた。晩九時半過にかへるり直ちに就床。

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2006年06月28日

1933年10月7日 父十四才の時の日記

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●昭和八年十月七日 土曜日 雨天(第五巻)

終日雨、しかし午後は小降となり曇を呈した。
午前中は雨の中、兄姉と僕と三人桑摘み、午後は鶏舎根屋の修理
をなし兄と蓮を掘る。百斤ばかり掘出す。暮れ方秋胡瓜を採取し、
晩市場に出す荷造りをなす。

所感
死は人間の常とはいへども吾々にとって絶大のはかなき悲涙界とも
いふべきであらう。暗黒界なり。
肉体的の行動なし得べからず精神的に即ち魂の存在これ人生の疑問
とする所である。一度死界の人となれば生きれる人の崇拝之人間の
実行し所である。有為の生を残して平安なる死浄界を望め。

今福の吉福作太郎さんの嫡子(十二)は先程満州の地ににてあはれな
最後をとげられた。病のためにその遺骨が今日、國許に送られた。
ああ晴れの肉体、若き青年が骨と化し野末の露と消ゆるか感ずるに
はかなきこの世よ、あさましき人生よ。

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2006年06月27日

1933年10月6日 父十四才の時の日記

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●昭和八年十月六日 金曜日 曇後雨(第五巻)

朝方は曇りだったが午頃より雨と変だ。
兄は胡瓜をもって佐世保青果市場へ行かる。
午前中は桑摘み、午後は雨のため曲り釘をのばす。
長崎のくんちに行く衣服を準備す。

所感
労働は人間にとってもっとも尊い幸福を欲せんとせば
労働すべきだ。労働は人生幸福の母である。
将来の幸福を望みつつ労働に労働若き青年の体を鍛えよ。

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2006年06月26日

1933年10月4日〜10月5日 父十四才の時の日記

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●昭和八年十月四日 水曜日 晴天(第五巻)

兄は市場へ秋胡瓜をもって行かる。正午頃歸らる。
午前中は玉葱苗床の除草。午後は蔬菜の害虫駆除及び玉葱苗床の除草。

所感
「人の一生は重き荷ヲ負ふて遠き坂を歩むが如し、いそぐべからず」と
家康公もいふたではないか。急いだならもはや目的地に到着することは
できぬ。老人の歩み如くほつほつと歩を進めなければ最後の勝利を握る
ことは當然できないのである。


●昭和八年十月五日 木曜日 曇雨模様(第五巻)

終日にわたりて雨模様を呈し小雨ばらつく。
朝秋胡瓜の市場への出荷造をなす。其後午前中は蔬菜の害虫駆除をなし
芋を掘る。午後は早岐へセメントニ袋(ニ五〇)砂ニ俵(四八)
金網一巻(一一〇)針金(十二)釘(三)アンモニア一かます(一八〇)を
兄と買ひに行き夕方六時歸宅。

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2006年06月25日

1933年10月2日〜10月3日 父十四才の時の日記

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●昭和八年十月ニ日 月曜日 晴天(第五巻)

昨日の雨もさらりと晴れて朗らかな日である。
午前中は朝がねうざを見に行き、西洋松たけ栽培床に寒暖計を備へ
温度を驗す。其後兄と塩屋精米所へ玄米九俵を賣却する為運ぶ。
十一時頃迄に運び終る。ニ車目の終りに空箱を(七十銭で大二つ小一つ)
求めて来る。
午後は箱をといて温床コンクリの鑄型をつくる。中側の框だけ造る。
夕方蓮(明日の運動会用を)をほる。秋胡の補支柱を立つ。

●昭和八年十月三日 火曜日 晴天(第五巻)
 折尾瀬小学校公民学校聯合秋季大運動会

朝方は雨模様を呈し後に上天氣と向ふ。
今日こそ幼稚な小兒の喜ばしき運動会だ。飾る會場は秋風にたなびいて
足の先から指の先まであらゆるものが望み満ち朗らかなる天氣を迎へた。
朝方秋胡瓜の市場出しの準備をなす。
余も会員の一人となり体育的に盡力す。中食には歸してゆっくりと食卓
に向った。午後は三時半頃歸宅、西洋松たけの種菌植付をなす。
暮方母と桑摘み、父は運動会には参観されなかった。

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2006年06月24日

1933年10月1日 父十四才の時の日記

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●昭和八年十月一日 日曜日 曇後雨(第五巻)

朝方より雨模様を呈し午後に至って雨天と変ず。
兄は発動船より佐世保の青果卸市場へ胡瓜をもって行かる。
廣田の伯母さんが朝方参らる。
午前中は牛糞堆肥の取込積替へをなす。半分程は何しろ雨は降るまいと残す。
其後午後に及んで九條葱花椰菜の播種をニ時半頃終へて雨が降りかかったので
急いで堆肥を取り込んだ。それこれしていると兄は市場よりかへらる。
手取りニ円程だったそう。
夕方兄と秋胡瓜の支柱立そえをなす。小雨の中で。
晩は養蚕用の蚕あみをつくる。ニ枚だけ。姉は六枚つくらる。

所感
何事をするにも根氣が大切。根氣なきものは到底成し遂げる事は不可である。
小野道風を見よ。根氣の一つで書道家の達人とまでに至ったではないか。
大事をなすには根氣がその材料の一つであらう。

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2006年06月23日

1933年9月29日〜9月30日 父十四才の時の日記

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●昭和八年九月二十九日 金曜日 晴天(第五巻)

昨日の如き天候を催す。
父は早岐大念寺の屋根漏りの修理に職口を見明けられ終日仕事に。
兄は中お水車方の天草陸揚げに早岐迄行かれたので朝草切りに行く。
午前中は秋胡瓜に敷藁をしく。母と短時間蓮を掘る。
午後は同じく蓮掘り。晩は江永へ映畫を見に。九時半歸宅。

●昭和八年九月三十日 土曜日 晴天(第五巻)

近くその例を見ぬ上天気だ。
父は昨日と同様に大念寺へ屋根修理へ。
午前中は秋胡瓜の採取、市場出荷の準備正午近くに九條大葱の土寄せ。
午後福本森助方の浦畑へ胡瓜の手入れ及びビート人参の中耕をなす。
夕方蔬菜の駆除をなす。晩は江永へ最後映畫を見に行く。十時半歸宅。

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2006年06月22日

1933年9月28日 父十四才の時の日記

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●昭和八年九月二十八日 木曜日 晴天(第五巻)

終日好天氣だ。午前中は朝方日出しの(横浜植本株式)小野比佐太さん方に
砂を四十斤ばかり相談に行く。
其後辻へ大根の害虫駆除を午後に及んでなしついでに九條大葱へ堆肥を運ぶ。
父は山ノ田道の修繕事業に出らる。
晩は江永の子育八幡宮の場まで各参加商店の慰安映写會に行った。
十時半頃終る。

所感
人間の力は威大なり。同体の活動を写真す。
写すが如く實に驚異すべきである。
文化の発達は既に人間に幸福便利を与へ且趣味を多からしむる。
しかし現在の人界をこれで満足と思ふな。より進歩発達を望め。
之が進化の意を眼前に表現する証墟物件であるまいか。

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2006年06月21日

1933年9月27日 父十四才の時の日記

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●昭和八年九月二十七日 水曜日 晴後曇雨模様(第五巻)

午後に至って曇勝ちとなり雨模様し假事のやうな雨だった。
午前中は補習学校へ午後ニ時半歸宅、学校では大晩生長崎白菜の
播種が実習であった。
午後は兄と辻へ宮重大根の害虫駆除にいったが雨模様の為中止を
行ひグワヤを切った。夕方早生甘監の下種と長崎白菜の播種を行ひ
兄と秋胡に敷藁をしく。
晩、吉福のおさださんが映畫の優待券をもって出て下さりしばらく
遊んで行かる。

所感
失敗に突あたりてエーくそをだすな。何くその意氣にて突進貫徹せよ。
失敗は成功の母なるぞ。溌溂たる勇氣の下に努力でかためた所の新地域
の発見、これが吾々人間の成すべき大事業だ。

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2006年06月20日

1933年9月26日 父十四才の時の日記

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●昭和八年九月二十六日 火曜日 晴天(第五巻)

勢氣溢る々一片雲なく白紙に青の空景色だ。
天高く朗らかなる光陽の下に吾々は農事に營んだ。
兄は佐世保の青果卸市場へ秋胡瓜を出賣さる。
自轉車よりスピードを出され五時半頃出車さる。正午近くにかへらる。
午前中は父と辻の蕪大根畑の跡地を耕す。
午後は大根畑の間引、施肥、中耕をなし耕したる蕪大根跡畑に
小部分ラッキョを下植した。
夕方暮れ近くに及んで山の田に建家の餅拾ひに兄と二人でいく。 

所感
人に無くてならぬのは衣・食・住といふ如く住居が吾々生活上
如何に重大の域に在るかといふ事がわかる。
しからばこそ新築祝の如きを見よ。あの盛大なるを。
家は父母、兄弟、姉妹、祖父母、叔父叔母がありいはば最大親密人類の
集合区域ともいってよからう。
又人生の根據地、人間自然の温味が備っている。
住居の確定は大切だ。よく適合したる場所を選ぶが一生涯を通しての
幸福であると僕は思ふ。

※佐世保まで約15km、荷物を積んでしかも今みたいに舗装道路で
 あるはずもなく子供にはちょっと大変だったのでは。

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2006年06月19日

1933年9月25日 父十四才の時の日記

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臓昭和八年九月二十五日 月曜日 曇後晴(第五巻)

午前中は兄と秋蔬菜畑の中耕及び秋胡瓜の賣出準備をなした。
朝がねうざを見に行く。(カネニ枚、エビ五匹)
午後は胡瓜の荷造りをなして後、蔬菜の害虫駆除(ゲラ使用)を
一斉します。父は辻の蕪大根畑の引上げ。

所感
世は変った人類は平等に取扱はなければならぬ。
犯罪前科者とて嘲罵すべきは甚だよろしくない。
人に良心なきものはない。善悪の判断は勿論の事、悪事を為せば
良心が他知しない事は人情の常である。前科者といへ、かかる心が
全々放棄されているといふものでないから前科者に対する無禮な
行動をとっては其の人の悪心が益々充滿して遂には公人に大害を与へ
世人の不幸が来訪するに至らんともかぎらぬのである。
世に犯罪人の多くを調査すると其大部分は前科者が再び犯罪したる
ものだ。これは世人の嘲罵の激襲に外ならぬ。しからば吾々人類の
平等取扱ひは夙に急務なる事を痛切に感ずるであらう。

※がねうざ:今日の日記から察すると先日のわかば様の推理の通り「筌」で
        ほぼまちがいないような気がします。
        (筌: 細く割った竹を編んで筒形あるいは籠状に作り、
        水中に沈めて魚・エビなどをとる漁具。
        入ったら出られないように返しがついている。
        ど。せん。ふせご。たつべ。もんどり。うえやな。うえ。)


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2006年06月18日

1933年9月24日 父十四才の時の日記

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●昭和八年九月二十四日 日曜日 曇後雨(第五巻)

午前は曇りがちで午後に至って雨模となり小雨がばらついた。
あまり大した事もなく雨は止みがけになる。
午前中は兄と白菜畑の除草を一齏終えた。
午後は蔬菜の害蟲駆除(ゲラン殺虫剤を用いる)を行った。
晩は明日の大巡せったいの飯たきが自家にてある。
晩は廣内の伯母さんが参らる。

所感
僕はことに一つの思案を胸に懐いた。人間といふものは何のために
生きているのであらう。如何なる務を果さんが為に存在する動物で
あらうかと孤り思案に暮れている。
生きんが為に食ふている人間は労働を必要とするであらうか、
それとも學問を必要とするものであらうか。
否、最大の事業に目覚めてこれを成就するのが人間の務め、
人間の目的地点であると僕は深く信じている。


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2006年06月17日

1933年9月23日 父十四才の時の日記

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●昭和八年九月二十三日 土曜日 晴天 秋分 秋季皇靈祭(第五巻)

秋晴のすがすがしき日和、彼岸の中日によくも与えられたる上天気だ。
午前中は支那本紅大根、宮重大根かぶの間引きをなし正午に及んで死鶏
の料理をなした。晝食は鶏肉の食卓に向ふ。
(母より四季鳥賣却代(一羽分)五十銭を得た)
午後姉兄は牛石の彼岸祭芝居を見に行かる。僕は米藏附近の草掃除をする。
晩姉兄は又横手の芝居に行かる。

所感
人生僅かに五十年といへども苦難長く一生を遂げるものは楽々多くして
最後をとげる者の差異を見よ。又これと同様に吾は有意義なる生がいの
ある一生と無意義なる且無益なる所の人生を後にする事とはここに又
どうゆふ区別を生ずるか今考ふるに有意義なる一生を過すが營譽ある
のみならず。又以て吾々人間たる者の本文であらう。


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2006年06月16日

1933年9月22日 父十四才の時の日記

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●昭和八年九月二十ニ日 金曜日 晴天一時曇(第五巻)

陰欝なる日和であった。
午前中は菊の草取り。兄は青果卸市場へ秋胡瓜、秋菜豆、其他
いろいろを持って行かる。母は江永へ商に行れた。
父は早岐方面に用事に廻らる。
(兄より胡瓜賣價の半額二十銭をえた)
午後は白菜畑の除草をなした。午後兄は訓練に行かる。

所感
物事は適度を必要とする。諺にもあるではないか「過ぎたるは
及ばざるが如し」前句を如実に表現しているではないか。
精神異常者の大部分をたどり見るにも過度に至ったのが原因で
ある。しからば吾々は後日かかる事に念を用ひて失敗の恐れを
のがれようではないか。


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2006年06月15日

1933年9月21日 父十四才の時の日記

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●昭和八年九月二十一日 木曜日 晴天(第五巻)

前日の雨はさらりと晴れて一天淨々たる青空を呈した。
朝の氣分は空前の好成績を現す。
午前中は兄と鶏舎屋根の修理、秋胡瓜の賣却仕度をなした。
午後は秋蔬菜の一齏駆除を舉行す。(ゲラン殺虫剤を用いる)
夕方兄は商の用意。

所感
何だかきたない失敬な話しだが、世にあるまじきことでもないから
一言して見よう。
婦人の苦産とも似たりであらか人の糞のつまっているその苦しみ
どうしてもここでは出すことのできぬといふ場席の苦悩は実に名状
すべからず。人蔭の苦しみ孤り我慢して猛進しなければならぬ。
何事もそうた目的に至するまでは大へんつらい。そこを忍耐力と
貫徹心をもって突進する人にして始めて有難い成功のニ守は収得
することができるのである。


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2006年06月14日

1933年9月20日 父十四才の時の日記

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●昭和八年九月二十日 水曜日 雨天強風(第五巻)

雨天の天気だったが大したこともなく無事すんだ。
朝がねうざを見にいく。
午前中は補習学校教舎に在り、午後二時半頃歸宅。
午後はがねうざ修繕の仕事に更かした。

所感
世人云ふたり「必要は発明の母」と、暗黒の世界が既に文明化して
光明の世界となりたるも前者の格言に基き全人類の聖脳より
生み出されたる賜なり、さづけられたるこ文明界これも吾々にとって
幸甚の至である。「必要は発明の母」成程このとほりだ。
常に我々は必要に應じて幾分の新発見を見出し世人に便益を与える
のも一つの奉公であるまいか。


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2006年06月13日

1933年9月19日 父十四才の時の日記

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●昭和八年九月十九日 火曜日 雨天 社日(第五巻)

終日に及んで雨。小雨で大した事もない。
朝方は玉葱苗床のおほひを離放す。午前から午後に及んでしの屋の
整理掃除をなす。父が道歩きの際つがねをつかまへてこられた。
夕方僕はがねうざを修繕してつけにいった。

所感
農民は肉体的の労働者だ。精神的には他と比して味はふ事のできぬ興快さだ。
いはんや精神的には疲労少きが故長壽を保ち肉体の健全なる鍛練、一生を
有意義に且、生がいある所の一代を過して、永遠的なる絶系なる子孫を伝へる
であらう。


※社日:(しゃにち)雑節の一つで、生まれた土地の神様(産土神)を祀る日。
    春と秋の2回行われ、春のものを春社(しゅんしゃ/はるしゃ)、
    秋のものを秋社(しゅうしゃ/あきしゃ)といいます。
    春分(3月20日頃)と秋分(9月23日頃)のそれぞれに最も近い
    戊(つちのえ/いぬ)の日を指します。
    「戌l」という文字には「土」という意味があります。農業の視点から
    見ると、春の社日は種まきの時期にあたり、秋の社日は収穫の時期に
    あたります。これらは農業において忘れてはいけない大事な時期です。
    そのため社日は全国的に重要な節目の日とされるようになりました。

※つがね:ドロガニ、モクズガニ

※がねうざ:また登場、解明できず。


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2006年06月12日

1933年9月18日 父十四才の時の日記

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●昭和八年九月十八日 月曜日 曇後雨 お才堂祭り(第五巻)

朝方は何の氣遣いもなかったが午頃より雨模様を呈して俄に小雨の
長降となった。午前中は青年支部の道路修繕に出た。
兄は午前十一時半頃からお才觀音祭りに参詣された。
母姉は觀音講に行かれてから午後にかけて座敷の整頓掃除をなす。
晩は小学校へ映畫(撃滅・大永海・觀兵式海の桃太郎の題目)を
見にいった。夜十一時頃かへった。

所感
思ふに今日はお才堂(柚木村のさとよし)お祭りだ。彼の三百六十
年の昔お才姫の貞節を永く祭る為、彼を拝奉されている。
今日はそのお祭りだ。
拝礼者は其の由来を覺りて彼姫のみ魂を慰むると共に功績を讃美し
奉りて吾等の模範ともしやうではないか。


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posted by gaku at 01:17| 長崎 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 父の日記1933.09-11 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月11日

1933年9月17日 父十四才の時の日記

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●昭和八年九月十七日 日曜日 晴天 青年團秋季大運動會(第五巻)

折よくも吾々青年團運動會に當り一片の雲なく靜穏上晴を迎へた事は
眞に祝福の至りである。
終日運動會の笑に趣味を湧かした。午後は四時頃歸宅、トマトの支柱
をそいでから夕方玉葱に撒水をなす。
札幌から(カマトー種苗場)代金引換案内が附いた)

所感
此の非常時日本を負ふ第ニの國民之即ち若き青年は健全なる身体を鍛練
して健全なる精神を磨き以て時局歎に突破する覚悟を持たねばならぬ。


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posted by gaku at 00:08| 長崎 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 父の日記1933.09-11 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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